大般涅槃経梵行品第二十の一
「・・善男子。人に二種あり。一には信。二には不信。菩薩當に知るべし、信は是れ善。不信者は名けて善と為さず。復次に信に二種あり。一には常に僧坊に往く。二には往かず。菩薩、當に知るべし、其の往く者は善、其の往かざる者は名けて善と為さず。僧坊に往く者に復た二種あり。一には禮拜す。二には禮拜せず。菩薩當に知るべし、禮拜者は善、不禮拜者は名けて善と為さず。其の禮拜者に復た二種あり。一には聽法す。二者には聽法せず。菩薩當に知るべし、聽法者は善、不聽法者は名けて善と為さず。其の聽法者に復た二種あり。一には至心に聽く。二には至心ならず。菩薩當に知るべし、至心に聽く者は是れ則ち善と名け不至心の者は名けて善と為さず。至心に聽法するに復た二種あり。一には義を思ふ。二には義を思はず。菩薩當に知るべし、義を思ふ者は善、義を思はざる者は名けて善と為さず。其の義を思ふ者に復た二種あり。一には如説に行ず。二には如説に行ぜず。如説に行ずる者は是れ則ち善と為す。如説に行ぜざるは名けて善と為さず。如説に行ずる者に復た二種あり。一には聲聞を求めて一切苦惱の衆生を利安饒益する能はず。二には無上大乘に迴向し多人を利益し安樂を得しむ。菩薩應に知るべし、能く多人を利し安樂を得しむる者は最上最善なり。善男子。諸寶中に如意寶珠最も勝妙なるが如く諸味中に甘露最上なるが如し。如是の菩薩、人天中に於いて最勝最上にして譬喩すべからず。善男子。是を菩薩摩訶薩
大乘大涅槃經に住し、七善法に住すと名く。菩薩、是の七善法に住し已りて梵行を具することを得る。・・」