福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その49

2011-10-05 | 法話
第三章 さとりの心
第二節 かくれた宝
六、昔一人の王があって、象を見たことのない人を集め、目隠しをして象に触れさせて象とはどのようなものであるかをめいめいに言わせた。象の牙に触れたものは、象はおおきな人参のようなものであるといい、耳に触れたものは、象は扇のようなものであるといい、鼻に触れたものは杵もようなものであるといい、足にふれたものは臼のようなものであるといい、尾にふれたものは、縄のようなものであると答えた。

一人として象そのものを捉え得たものはなかった。

人をみるのもこれと同じで、人の一部分に触れることができても、その本性である仏性を言い当てることは容易ではない。

死によっても失われず、煩悩の中にあっても汚れず、しかも永遠に滅びることのない仏性を見つけることは仏と法によるもののほかはでき得ないのである。
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