福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

『二月堂縁起絵巻』(全詞)修二会の起源

2022-02-01 | 法話

『二月堂縁起絵巻』(全詞)

 

(実忠和尚が笠置寺の竜穴を見つけ入ると、天人の住む天界(兜率天)に至り、常念観音院で天人たちが十一面観音の悔過を行ずるのを見て、これを下界でも行いたいと願い十一面悔過を二月堂で開始した。兜率天の一日は人間界の四百年にあたり到底追いつかないと天人に言われ、少しでも兜率天の速度に合わせようと走って行を行うとした。)

「天平勝宝三年辛卯十月、実忠和尚(https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwj7pcLp8uXtAhUUUd4KHQArBXAQFjAAegQIAxAC&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25AE%259F%25E5%25BF%25A0&usg=AOvVaw3bkDijh_4oC5-psnpdHxA7)、笠置寺の龍穴より入て、北へ一里ばかりを過ぐるに、都率の内院なりけり。四十九院、摩尼宝殿を巡礼す。其内、諸天衆集て、十一面悔過を勤修する所あり。常念観音院と云う。聖衆の行法を拝して、此の行を人中に摸して行うべき由を伺。聖衆告て曰く。此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則、巍々として千返の行道懈らず。人中の短促の所にては更に修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、いかでか人間すべからく摸すべきと云う。和尚重て申く。勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。誠を致て勧請せば、生身何ぞ成給はざらんとて、是を伝えて帰りぬ。

実忠和尚、摂津国難波津に行て、補陀洛山にむかひて香花をそなへて海にうかべ懇請をぬきいでて祈請勧請す。かの閼伽の器はるかに南をさして行きてまた帰り来る。かくする事百日ばかりを経て、つゐに生身の十一面観音まのあたり補陀洛山より閼伽の器に乗りて来給へり。和尚是を当寺の羂索院に安置し奉る。今は二月堂という。

 

(実忠和尚は兜率天の天人影向の儀式を模し、生身の観世音を拝して六十年六時の行法を修したこと)

凡夫の肉眼、機見を隔るかゆへに、たやすく御身を拝し奉る人なし 。生身の御身煙気、今 にかはり給はす、効験あらたに、利益をとりなし、鳥羽院の御時、日本国の霊験の観音をし るさるるに、東大寺二月堂の観音肉身と、これをしるされにき。

天平勝宝四年壬辰二月一日より初めて大同四年にいたるまて、六十ケ年があいた、和尚彼生身の観音の御前にて毎年二七ケ日夜、六時の行法を修す。都率の八天、練行の道場へくたりて種々の神変を現し仏閣をめくりき。其より天人影向の儀式をうつせり。

 

(神名帳の由来およびお水取りの由来、またこの修法を他の地域に移すことはできないことを述べる)

実忠和尚、二七ケ日夜の行法の間、来臨影向の諸神、一万三千七百余座、其名をしるして神名帳を定しに、若狭国に遠敷明神といふ神います。遠敷川を領て魚を取て遅参す 。神是をなけきいたみて其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るへきよしを懇に和尚にしめし給ひしかは、黒自二の鵜、にはかに岩の中より飛出てかたはらの木にゐる。其の二のあ とよりいみしくたくひなき甘泉わき出たり。 石をたたみて閼伽井とす 。彼明神、遠敷川の 水のすちを引て観音に奉りにけれは、忽に河水かはきにけり。其後は無音河といふ 。

今に彼遠敷には鵜を仕者とするなり。其よりして、初夜の時おはりて神名帳をよめは六十 余州の大小神祗、悉く来て法味をうけ給へり。

六時の行法、厳重なる事、天狗集り、二七日後終て練行衆退散の時入れかはりて、まなひ行はんとす。是によりて十五日朝は日来の行の作法を改て、呪願師大導師となる。略式の日没、初夜の二時を行事あり。天狗の行法をまさしく今にありといふ。凡今この行法をむかしより所所の霊地に移しおこなはんとせしかども、是を伝んとする人は則ち冥罰を蒙りて命を失ひ、又其の所にはかならす疫病をこりてほろひければ移行ふところなし。大聖の意楽まことにはかりかたき事歟。

 

(二月堂の観音様の霊験例)

當寺に實尹得業と云ひし人有き。二月堂の観音を信じ奉りて二世の利益を祈き、しかあるほとに病にをかされて命終りなんとす。ひとへに臨終を祈るに俄にみつからおきゐて此の前に三尺の十一面観音の像います、いつれの仏師の作り奉れるにか相好圓満し端正美妙におはしますとてよろこひつつ手をあはせ心を致して祈り奉る。餘人はこれを見奉ず。翌日正念に住し端座合掌して往生の素懐をとけにき。

 

或る一人の僧、この観音の霊験たくひなくおはします事を信仰のあまり、とりたてまつらんと思ひけり。うかかひとりてかへるほとに、終夜堂のほとりなる木のもとをめくりありきてわか住所へかへる事を得ず。つきの日朝當寺の職掌大膳國延といふもの見つけてとりかへりて奉りにき。

 

(過去帳に記している「青衣の女人」の縁起および神名帳のよみあげで春日大明神も来迎されていること)

彼行法の式として第五日第十二日の初夜のおこまひのおはりに、上本朝上皇より下結縁の道俗にいたりまて、その名をしるして過去帳となつけつつ、是をよみあけて、成道正覚のよしをいのる。

承元年中の比、彼帳をよむ僧、集慶のまへにあをき衣をきたる女人、俄かに来たりて、なとわれをは過去帳には読をとしたるそ、といひてかきけすやうにうせにき。青き衣をきたりしかは青衣の女人と名つけて今によみ侍り。

興福寺に僧ありけり。春日社にまひり夜ふけてまとろみたりける夢のうちに、寶殿のかたへより神人きたりて大明神は二月一日より東大寺に御影向ありて當社にはをはしまさすといふ。夢さめて御山を出て東大寺へおもむき諸堂を順礼して二月堂へ参りぬ。礼堂へいらんとするに堂内に神名帳をよむにおりしも春日大明神とよみけるを最前にきき、信仰きはまりなくして涕泣しき。

 

(香水の霊験)

又實忠和尚出生の時より遷化の後、五百餘歳のあひだ毎年二月一日より恒例の行法として二七か日夜の勤修おこたることなし。十の後夜の時にいたりて練行衆かの閼伽井の邊にむれくたりて遠敷明神の跡にむかひて井の水を加持すれば甘露盈ませり。くみとりて佛前にをく。

天平勝寶年中よりおほくの年をふれともいさきよくしてのむもの衆病をのそく。八功徳水にもすくれたり。

康元元年の修中に彼根本香水見るに日来、良薬のため諸人にあたへて残すくなく成けり。第七日にいたるまてわつかに瓶の底に有りしかは、八日の日中の時に練行衆評定して今より後、この香水をたやすくいたすへからす、といふ。しかあるに、十日、自然に瓶の中にみちしかは、諸人奇異のおもひをなしてたた利生のためにあまねくあたふへきよし又評定しき。そののちくみけれ共つくることなし。

六波羅の後藤次左衛門尉、同宿の女ありけり。としころ腹病をうけてわつらひつつ命をはらんとしけるに事の縁ありて二月堂の香水をえたりけり。二さらこれをのみしに俄かにをゐて口よりあをきかへるのおほきなるをつきいたして病かきけすやうに成りにけり。

 

(二月堂の霊験)

正嘉二年二月九日、日中の行法をはりて後、御堂の内陣に火のつきたるをとして、甍より煙たちいつとききて、練行衆等内陣をひらきてみるに、まことに火つきて仏壇ならひに新造の水ひき、焼落たり。諸人これをみるに今年仏壇を修理してふるき水引のうへに新しき水引をかけかさねたり。しかあるにうへなるあたらしきはみなやけて本の水ひきはやけす。又、仏壇は焼け落ちなから佛前の造花等はすへてやけす。又観音の御厨子をさくるに聊かの烟気なし。おほきに此の事をあやしむに或る人の云、絵師、水引の絵を書しに葬家のうちへとりいれたりけりとなん。是しかしなから守護の天等のとかめなり。今此の堂は治承年中南都炎上の時、御堂の南のはしに火つきたりしか共、東より俄かに風はげしく吹きはらひてその火をけち侍にき。奇特の観音の霊験、昔より今にあらたかなり。

修行中に練行衆の粥食の残りを或る下僧不信にて魚をくしてくひたりければ俄に邊身にかさいてきにけり。癩病となりけり。程なく死し侍りぬ。彼の子なりける小童はかたなうおひたたしくはれかたまりて「、すへてよくならす、道路に食をこひけり。異名にはほうはれといふ。又練行衆の中食の施食をとりて奈良坂の非人にあたへ、癩病重苦のもの、これを食すればその苦痛たすかるといへり。

不信のものは罸にあひ、信心のものは益をうる。まことにこれあらたなり。

弘安九年、修中下七日に二月堂領みかのはらの下司おとこ参りて籠りたるに僧一人赤衣の童子一人を具して内陣より「いてて、汝多年に信をいたして参籠かへすかへす神妙也。公文上総房かまひらぬ事、ふしぎなり。罸せんとするにてあるなり云々。このよしをかたるといへども夢はひたりなはといふくるしかるへからすとてさらにをとろかす。同年三月二十八日御幸の具物のために南都へ奉るといへども二月堂へはまひらす、春日社へは其日二ケ度まひりて水をあみ潔斎して参りけり。ひるほとより物をうきかつくやうにおほえけり。さてみかの原へかへりてやがて温病(うんびょう・急性熱病)をやむ。第五日にみつから夢の中にかの下司のかたりしやうなる僧一人赤衣童子一人枕に現して、汝二月堂の沙汰人たりなから不信にて参詣せす、よりて罸をあたふるなり、命をさめんとする事子細なし、といふ。種々にさはきいのるといへとも七日といふに死におはりにき。末代と思ふ経枯らす。厳重きはまりなきものなり。」

 

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