人生なあにやってしまったら同じことじゃ
澤木興道老師の言葉
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人生いかに生きるべきか・・・自分も分からん、カカアも分からん、子も分からん。こうして分からん者と分からん者とが、世界いっぱい満ちておる。
「食えん、食えん」と言うので「そんなに食えんなら死んだらどうか」と私が言うと、「ウワッ!」と言った人がいる。働くために食うか、食うために働くか。たいていの人間は一生口に使われる。これはもう負け戦じゃ。われわれは何らかの使命のために命をつなぐので、そのためにこそ、どうしても食べなければならんのである。
人間というものは、一体自分の生きていることを何に使うたらよいかという工夫がなければならない。さて自分は何のために生きているか。この人間に生まれたという意義を自覚して、人間に生まれたということが喜びでなければならぬ。
ところがわれわれは何やらに囚われて、鬼ごっこして、好きなものが容易につかめなくて、ヤッサモッサして、そうして追いつかんうちに棺桶の中にボソッと入ってしまう。
われわれは好きと嫌いと二つ並べて、いつもその好きを追っかけ嫌いから逃げている。 迷いということは「鬼ごっこ」である。肝が坐るというのはこの鬼ごっこがなくなったということである。たとえ身は苦しんでも、よいことを望むのでもなく、苦しまないようにするのでもなく、追っかけるものもなく、逃げるものもない。そこに本当の落ち着きがなければならぬ。
美味いいものをよって食って、ついに美味いものがなくなるというのは非常に悲惨な人生である。楽をよってしまったら、もう楽のしようがなくなってしまう。幸福ということは、自分が貧乏に生まれ自分が難儀をしたからである。そうすると実際は難儀が難儀でなし、楽が楽でなし、その何にもない処でヤッサモッサ大騒動してのたうち回っているのが、この凡夫というものである。さあ好きなものを追っかけるか、嫌いなものから逃げるのか・・・そこにジーッとしているのが、一番幸福である。
(病臥中に)衲は病気でも何でもない。ただ脚が動けないばかりだよ。こんなもの、どうだってええんじゃ。
なにもわれわれ、一生安心して暮らす穴を探すような、そんなおかしなものを探さいでも、毎日毎日が心配なのが本当であるならば、そこに安心があるじゃないか。
個人持ちの悟りを得ようと思うのは大間違いである。大体私たちの身体がめいめい持ちで生きているわけのものではないのだ。したがって悟りは天地と我れと同根、万物と我れと一体のものでなければならぬ。だからどんなことでもめいめい持ちであるならば、どれだけ立派なことでもみなこれは妄想である。
雨降らば降れ、風吹かば吹け、良いとも悪いとも決まっておらぬ。自分が勝手に呪うておるので、何でもないのです。この何でもないという処から出発せねばならぬ。
何にもない世界に、われわれは何かあると思って一人でばたばたしておる。
人情はあがきである。やめたらやまる。やめんからやまんのである。
一切の差別の世界はみな夢幻空華である。しかしその夢を夢とも知らずに、その夢のなかで大騒ぎをやっておるのがこの現世である。
凡夫の方からいえば実相は何もない。いや諸法実相の真っ只中において妄想ばかり見ておる。
なあに世の中に幸福もなければ不幸もない。夢のなかで別嬪に惚れられておるか、振られておるかというだけの違いである。覚めてみると何もない。ああウソだった。
万象何が故にこうあるかということを尋ねれば、その何が故にということが自ずから尽く、何でもない。一体めいめいが何でこんなことをしておるのかといえば、何でもない。何だかしらんがこうしておる。
人生は無生の曲であるから何らの様のあるものではない。じゃから甘いとか辛いとか、嬉しいとか悲しいとかいうのではない。ではどんな音色か・・・ララリヤ、リララ、何でもない。
無とは、なしという意味じゃない。人間が認識することではないという意味である。
「生より死に至るまで只這れ是れ」(石頭希遷大師)・・・好きも嫌いも何もないのじゃ。こうあるからこうある。憎愛は要らん。草は何とも思わずに生えておる。
地獄の夢を見ても、極楽の夢を見ても、寝ておるのは寝ておる。夢は夢。そこの処に安心したら何のことはない、ぶっちゃかる気遣いはないのじゃ。
夢というのは、汚いものでもいろいろのものが出てくるが、朝、目が覚めてみたら何もない。
人生八十年、なあにやってしまったら同じことじゃ。
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