福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

東洋文化史における仏教の地位(高楠順次郎)・・その18

2020-09-23 | 法話
それから三階教という仏教の一派がシナにあった。これは仏教の異端であります。仏教を三階に分けて仏教の第一期は唯一乗教の時代、第二期は唯三乗教の時代で、一乗三乗峻別して通学通行せざる時代にて、機根の勝れたる時代に相応する教えである。第三階は大小の区別なく一般に遍く行われる教義である。早くいえば第一階は機根上等の人のみに行われる教義、第二階は機根中等の人に相応する教義である。両方とも別真別正の仏法であるが、第三階は凡一覧の区別なく普真普正の仏法で普法の佛教普行の宗旨である。(三階教では仏教を一乗・三乗(以上の二を別真別正法または別法という)・普法(普真普正法)の三段階にわけて正(一階)・像(二階)・末(三階)の三時に配し、現在のわれわれの時は末法であるから普法でなければ救われないのであらゆる仏、あらゆる経典、あらゆる僧侶に帰依することを求め、その実践は、乞食行

これは親鸞聖人、日蓮聖人の教えと似たようなものでありますが、それが隋の時代から唐の時代に行われた。隋の信行禅師が唱え出して唐の時代にまで行われたのでありますが、唐の開元時代に厳禁せられて終に無くなってしまった。
 ところがその経巻が三十五部四十四巻あった。それはみなシナで焼き棄てられた。それでシナにはない訳であります。所が敦煌からこれが出て来た。それがイギリスの博物館、フランスの博物館に行っております。所がこれも日本の正倉院の正語蔵の中にだいぶある。それから宇治の興聖寺の一切経(興聖寺(京都市上京区)に所蔵される一切経は、慶長年中、開山虚応円耳(1559-1619)の時代に洛南の海住山寺(京都府木津川市、瓶原恭仁京)より伝来した解脱房貞慶ゆかりの平安古写経であるとされます
の中にもある。法隆寺の一切経(法隆寺一切経は平安末期に書写された一切経で総数は7,000巻を上回るもの)の中にもある。それであるから法隆寺に一切経を読んだ日蓮聖人も、親鸞聖人も読んだのかも知れぬ。読んだ読まんは疑問として、シナで一部も無くって敦煌遺品から出た物と日本にある物とが同じである。三階教は私の刊行しつつある一切経の中に出しております。
『占察善悪業報経』『大方広十輪経』『大乗大集地蔵十輪経』『金剛三昧経』等が所依の経典といわれます

それからまた日本にのみあって非常に不審に思われておったことがあります。光明皇后が百万塔を作られた。(一般的には百万塔は光明皇后の子第48代称徳天皇(718-70,御在位764-70)の作とされていまさすが、ここはどちらなのか分かりません。
百万塔を作られたその中に入れられた小経(無垢浄光陀羅尼経)は慥に版になっております。それは活版であるとか、活字にして木版か、銅版か、説も分れておりますが、とにかく版本であります。これは世界最古の版本であります。どこにも例のないことである。日本だけがどうしてそんなに古く刊行法を発明したのだろうか、随分疑問とせられたものでありますが、中亜の発掘でこれよりは遅いけれども掘り出した版本があった。百万塔の版経が一番古い物であるということは変りませぬが、それから僅か遅れた物が掘り出されたのでありますから、日本独特の物でなく、版行の方法は東亜には発見されておったということは知り得るのであります。
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