福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

東洋文化史における仏教の地位(高楠順次郎)・・その17

2020-09-22 | 法話
これも序にお話したいと思いますが、中央アジアの発掘ということは世界に動搖を与えた学術上の大事件であります。日本は東方に偏在しているのでそんなことには関係ないであろうというように考えられるかも知れぬが、シナで無くなったもの、シナ四百余州に見つからぬものが日本にあり、中央アジアで発掘された出土品と日本にある保存物とを比較すると同一物である。それでシナ本国になくて日本に残っている古書は、西洋人は或いは偽作だといっておったものもあります。今度中央アジアから掘り出されて来ると日本のものと同じで偽作でなく真物であるということが分った。その二、三の例を申し上げますと、梵本というのは古いものは棕櫚の葉に書いた物である。これを貝葉ばいよう梵本と申します。それが日本には非常に古い物があります。今のインド人は日々用いつつある梵字は知っているが昔の梵字は知らない。然るに発掘品から見ると昔の梵字は日本に伝わるものと同一である。日本の梵字の形を見ますと中には四、五世紀頃のもある、推古時代奈良朝以前のインドのものが日本に将来されているのであります。それを一々調査しまして写真に撮っております。
 まず最古のものは、河内高貴寺、大阪四天王寺、近江玉泉寺、京都百万遍知恩寺にある。大和法隆寺(御物)大和海竜王寺所蔵のものはこれに次ぎ、京都東寺、粟田口青蓮院、嵯峨清涼寺、

(松本俊彰師「梵字入門」に「高貴寺貝葉・・年代は4から7世紀といろいろな説がある。朴筆状のもので書かれたもののようである。慈雲はこの貝葉によって独特の梵書を確立した。」https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwj-3o-OhvfrAhUa7WEKHbi0DnIQFjALegQIBRAB&url=https%3A%2F%2Farchives.bukkyo-u.ac.jp%2Frp-contents%2FDB%2F0038%2FDB00380L001.pdf&usg=AOvVaw0KpnOMxQTh5oaOXWJNDjoh
法隆寺貝葉・・とくに有名である。正しい字体を知るうえで絶好の資料。浄厳、澄禅がこの貝葉によって梵字の風格を確立」https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwi3j8GThffrAhVTa94KHRJCAs0QFjACegQIAhAB&url=http%3A%2F%2Ftadashimatunaga.web.fc2.com%2Fhannyasingyou_2.htm&usg=AOvVaw041Ouc9SBLFwTXWFDIfDsh
清凉寺貝葉・・もとは東寺と海龍王寺の各一葉と一俱のものであったといわれる。倶舎論の一部といわれる。法隆寺貝葉とちかい年代」)
坂本来迎寺所蔵のもの略これと同じく、また貝葉でなく紙本梵文にも逸品がある。三井園城寺大日経真言梵本一冊(三井寺円珍が般若多羅三蔵より承けたとされる)、河内金剛寺普賢行願讃一冊、(重文)高野山無量寿院大涅槃経一軸(重文・高野山霊寶館)がある。いつか刊行したいと思っております、四天王寺に貝葉梵本があるという記録を見て寺に掛け合った所が「あるには相違ないが新しい物でとてもご参考にはならぬ」という返事がきた。それでも古い記録にあるからそれは大切な物に違いないと考えて行って見ますと、それがやはり最も古い四世紀頃の梵本である。そういうのがまだたくさんあるだろうと思いますが、今までに見つけ出した物だけでも以上の通りであります。字形でいったならば中央アジアで掘り出した物と文字の形が似ているから古物だということを何人も信じますが、日本だけにあった時にはこれはいつごろの物かも分らないし、真価も知れないのであります。こういう貴重品が日本に相当あるのであります。
 名前はお聞きになったこともあるでありましょうが善悪因果経https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiM_dXxjffrAhXO3mEKHU85AqkQFjAAegQIBhAB&url=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Ffukujukai%2Fe%2F1e1a23ffb39f52274a72f3d6679f9888&usg=AOvVaw0B-OZ-ujHHR9_wWzueF_Yqという経がある。奈良朝時代に因果経の上部に絵が描いて色彩も麗わしく時価も非常に高いものがある。一枚が万金以上に価する。名宝展に久邇宮家の所蔵品が出されておりました。藤田男爵にも一枚、美術学校にも一葉あります。因果経という本は奈良朝にそれくらい行われておったにも係らずそれが一切経の中に入れてない。シナでは十五回も勅修があり、また十四回も印刷したのにこれが入れてないから、或いは日本で作ったものだというようなことを言っておったが、それが中央アジアで発掘されて全部が出土した。それが漢訳が全部出たのみならず胡語ソクデヤの言語で翻訳した物が出た。ソクデヤというのはギリシャ人とペルシャ人と一緒になったような人種であります。西域に住んでおりましたが、その言葉に訳翻されている因果経である。日本の偽作と言われたが同一の物が漢語胡語に訳せられて、それが発掘されたというのは大変面白いことだと思います。
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