この「日域は大乗相応の地なり」(親鸞聖人が得た聖徳太子の夢告)という太子の無言のお声が爾来千三百年間永い日本の歴史のいつの時代にも響き渡っていたことをしみじみと感じざるを得ないのです。このお声に応じて・・・この声なき声を感じて立ち上がって下されたのが各宗の祖師がた、歴史上の高僧方であると思うのです。
この飛鳥時代、聖徳太子を中心とする我が国佛教の原始時代におきましては、大乗仏教の至極といわれる法華経をはじめ勝鬘経、維摩経等の精神によって我が国文化を開拓し我が國體の精華を明らかにしてくだされたのです。この仏教と云うものは「四生の終帰、萬國の極宗なり」と太子が十七条憲法第二条でおおせられています。「四生の終帰」とは宇宙間に生きとし生けるものの最後の帰依所である、よりどころであるということです。また「萬國の極宗」とは宇宙間のありとあらゆる国土の則って立つべき至極の宗とすべきところであるといことです。そうしますとこの大日本国は世界無比の尊いお国柄ということになります。(十七条憲法「二に曰わく、篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。)
・・・
わが日本の国は昔からこのかた万国無比の国柄でありまして、いわゆる「惟神の道(かんながらのみち)」というものは単なる一国土にだけ通用して他に通用しないような狭い道ではありません。畏れ多くも万国をして各々その所を得さしめんとおおせられますその根本原理はこの「惟神の大道」であります。そこでこの惟神の道と仏教は聖徳太子におかれては一つのものと確信あそばされたと拝察申し上げるのであります。そうでなければ佛教を「萬國の極宗」と仰せられる筈がないのです。そこでこの万国無比の尊高なるお国柄とそのお国柄のよって立つところの惟神の大道を中外に宣伝し、外は当時の先進国たる支那に対して威信を示し、内には我が國體の有難さを知らぬものが多かった時代に於いて人民に対して方向性を明らかにして下さるために太子はこの仏教文化の創造に邁進したもうたものと思われるのであります。・・・(「惟神の道」とは大自然の摂理・神の摂理にしたがって生きるということ)
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