今日はお彼岸の中日です。
「彼岸」とは サンスクリット語pāramitāパーラミターの訳で、正しくは「到彼岸」即ち生死輪廻の此岸を離れて涅槃常楽の彼岸に到達するという意味です。原語「パーラミター」は「(到)彼岸」と同時に「波羅蜜(多)」とも音訳されます。
「波羅蜜」とは何なのか? この「パーラミター」は布施・持戒 ・忍辱・精進・禅定・智慧 の6種の徳に分類されます(六波羅蜜といいます)。この六種の徳目を実践することにより「真理の世界」に至るということです。
六波羅蜜はこの世で実践できなければ意味が有りません。そう考えると、彼岸(真理の世界)は遥か彼方ではなくいまここになければならないことに気がつきます。そして現世で生きている者が六波羅蜜を実践してその徳を先祖に回向することにより先祖も佛果を増進できるのです。
塵添壒囊抄には『経には「昼夜が斉しく、それは両岸に比するがごとく左右均等なり、よって、「此岸」と名付け、また日の出と日の入りの両岸は、彼の岸と此の岸と彼の岸と斉しい故に「彼岸」とも書く。時分が相応する故に、所作は成就するという。他の時にはこの意義はない。仏法は正しいことを用とし、魔界は違うことを用とする。故に正直の時節に仏法は顕現し、魔界は隠没する。これにより一年の中に二つの季の彼岸を仏法相応の時節とするのである。 』とあります。「今日彼岸菩提の種をまく日かな」(芭蕉)という句も、こういう意味で仏道修行に適している日であるということを言っているのでしょう。
「彼岸」とは サンスクリット語pāramitāパーラミターの訳で、正しくは「到彼岸」即ち生死輪廻の此岸を離れて涅槃常楽の彼岸に到達するという意味です。原語「パーラミター」は「(到)彼岸」と同時に「波羅蜜(多)」とも音訳されます。
「波羅蜜」とは何なのか? この「パーラミター」は布施・持戒 ・忍辱・精進・禅定・智慧 の6種の徳に分類されます(六波羅蜜といいます)。この六種の徳目を実践することにより「真理の世界」に至るということです。
六波羅蜜はこの世で実践できなければ意味が有りません。そう考えると、彼岸(真理の世界)は遥か彼方ではなくいまここになければならないことに気がつきます。そして現世で生きている者が六波羅蜜を実践してその徳を先祖に回向することにより先祖も佛果を増進できるのです。
塵添壒囊抄には『経には「昼夜が斉しく、それは両岸に比するがごとく左右均等なり、よって、「此岸」と名付け、また日の出と日の入りの両岸は、彼の岸と此の岸と彼の岸と斉しい故に「彼岸」とも書く。時分が相応する故に、所作は成就するという。他の時にはこの意義はない。仏法は正しいことを用とし、魔界は違うことを用とする。故に正直の時節に仏法は顕現し、魔界は隠没する。これにより一年の中に二つの季の彼岸を仏法相応の時節とするのである。 』とあります。「今日彼岸菩提の種をまく日かな」(芭蕉)という句も、こういう意味で仏道修行に適している日であるということを言っているのでしょう。