福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日二月三日は維範入滅の日

2023-02-03 | 法話

今日二月三日は維範入滅の日

高野山往生伝「阿闍梨維範は紀伊国伊都郡相賀郷の人、俗姓紀氏也。顕密性を瑩き、山林に心を接し遂に平城の月を辞して長く高野の雲に入る。俗に南院阿闍梨と曰ふ。爾より已降、偏に下界を厭ひ専ら西土を望む。嘉保三年正月二十八日俄に小悩有り。両日を送り二月朔日に至り法華経一部・不動尊萬体を摺模供養矣。第三日早旦、小浴を企て衣服を著し尊円上人をして尊勝護摩を修せしむ。蓋し臨終正念の為也。是の日、闍梨護摩壇に向ひ敬礼して言く、一期の命、今夕の極なり。曼荼羅を見奉るは只だ斯の時許り也云々。即ち本房に帰り、端座し西に向ひ手に妙観察智の定印を結び口に弥陀如来の寶号を唱へ、兼ねて五色線を以て佛手に繋け、定印と相接し、漸に子の剋に及び、眠るが如く気絶す。其の第五日、廟室に斂送。旬日の間、門人往視するに、容顔不変、定印無乱、鬢髪少しく生ゆ。臰気更に無し。茲に因って緇素門に集まり結縁市を成す。五七日に至り、門弟相談し廟戸を開見、手印容色故の如し。此の奇異に畏れ廟を鎖じて開かず。闍梨臨終の間、瑞相太だ多し。其院内禅僧信明、久しく庵室を閉じ門戸を出ず。當に此の時に空中に聲ありて曰く、維範阿闍梨只今入滅者、忽ち南院草舎を辞し已に西上蓮台に移るもの歟。又慶念上人同時に夢見る。大城有り。衆僧衆会す。此の中、南院闍梨、日想観を修して居る。此の時、音楽西聞、聖僧東来す。先ず、伽陵頻六人、袖を翻して下る。次に小田原教懐、雲に乗りて来る。(教懐の衣装は臨終の如し)。慶念、其の故を問ふ。傍人答て曰く、南院阿闍梨、往来の儀也云々。又定禅上人、山中旧往也。数日他行、此の日帰来。闍梨の入滅を聞き、涕泣而して臥す矣。其の夜夢みるに、西方高晴れ、紫雲斜高し。無量の衆聖、その中に集会す。只、腰鼓菩薩独り雲外に出る云々。又、維昭上人、先年、如法経を書写し、闍梨供養を以て大師の廟院に埋む。此の日、彼の處に行き理趣三昧を行じ、夢に非ず、覚にあらず、空中に聲有り。千載一出の沙門、只今滅度云々。如是の奇異、萬を省き一を記す耳。

今案ずるに此の上人、若し初地に入るか?何を以て之を知るや。千臂経に曰く、若し人、命終して定印を結べば當に初地に入るべし云々。定めて知る、佛印の為に印せられるの人也。又、大唐乾封二年、天人道宣師語って曰く、俱留孫佛嘱する所金瓶中七寶塔あり。塔中に三十六印あり。釈迦如来これ等の印を以て文殊等大菩薩に勅して曰く、後の悪世に於て、四部の弟子、若し経を読む者、彼の人を印し忘失無し。若し定を修する人、直心に行ずる者、竝用之印、彼の終後屍形不壊云々。又、法苑珠林に見る云々。

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