地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の4/9
四、専當法師蘇生の事、付けたり俱生神の事。(今昔物語巻十七養造地蔵仏師得活人語 第廿五及び宇治拾遺物語 三の十三 因幡国の別当地蔵造り差す事にあり)
因幡國高草郡野坂郷に古き寺あり、國隆寺と号す。因幡の前司介親が建立の寺なり。後に寺の別當、坊を去て寺に栖て佛師を請して本尊を作らしむ。爰に別當の」妻竊に他の男の為に勾引せられて跡を削り隠し了る。別當心神迷い佛の所を捨てて尋求め郡邑に於いて已に十日を経て佛師等且越なきに依りて飢餓す。更に方便なし。爰に彼の寺の専當法師見て、善心を発し、佛師等に供養して地蔵尊の像を造り了ぬ。されども彩色の供養に及ばず。其の後専當法師俄かに病を受け、日来悩乱して命終りぬ。妻子悲啼して既に入棺し了る。其の妻恋慕すること甚だしければ棺を留めて朝夕に相見る。十六日の未の剋(午後2時)に至って棺の中に動く。偸かに棺を開いてこれを見れば即ち蘇へりける。妻女水を以て面に灑こと半時ばかりして口にも亦含しむ。漸く棺の後より人に向て語て曰く、猛悪の大鬼二人来たりて我を捕て曠路に入る。疾きこと雷の如し。既に呵責を受けて阿鼻獄に趣く。其の途中に白色の衣袈裟の僧を見る。彼の僧立て件の鬼王に向ふて曰く、我に彼の法師を吾に得させよ。吾は是れ當國の國隆寺所造の地蔵菩薩なり。専當法師の助によりて造畢せり。吾が末世に於いて利益を成べし。此の恩の為に請受る所なりとの玉いければ二鬼手を合わせて許し奉りぬ。小僧語て曰く、汝早く旧里に皈りて我が像を彩色すべし。善哉善哉善男子と摩頂手を放ちて去り給ふ。覚めて即ち活せり。人心つきて後に他に向かって此の事を語り涙を拭い即ち発心して彼の國隆寺の地蔵の像を彩色し奉り供養を遂げにき。開眼是遠しといへども其の像今に現在して得益も亦日に新なりとぞ。凢そ人間一生の所作善あり悪あり得あり失あり亦極悪人あり気禀万別なり。然れば又果を得ること此の因の如し。人初めて生ずる時、先ず両神ありて両肩に居す。是を俱生神と名く。華厳経に曰、人の生れ已(をは)るが如し。則ち二天ありて恒に相隨ふ。一を同生と曰、二を同名と曰と云々(大方廣佛華嚴經卷第四十四 入法界品第三十四之一「如人從生有二種天常隨侍衞。一曰同生。二曰同名。天常見人人不見天」)。所謂同生天とは右の肩に住して罪を記し、同名天は左肩に在して善を記すと云ふ。此の二天は常に人を見る。人は更に天を見ることなし。善悪記書め響の聲に應ずる如く少しも失錯たがふことなし。己が其の見ざるを以て天を欺き神を昧まし以て放逸無道にして行はば此の人死して必ず無間地獄に堕すべし。謹んで怠る事なかれ。