福聚講

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六月十五日は後醍醐天皇が天長の印信を書写された日

2024-06-15 | 法話

六月十五日は後醍醐天皇が天長の印信を書写された日

本来の『天長印信』とは、天長3年(826年)3月5日に弘法大師が高弟の真雅に授けたと伝わる印信のこと。醍醐寺座主かつ三宝院流正嫡のみが相伝できるものでした。南北朝時代に醍醐寺座主文観は報恩院流のため『天長印信』を相伝できなかったので、主君である後醍醐天皇に写しの製作を願い、醍醐寺の新たな至宝としたのが
国宝の醍醐寺蔵「後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)」。後醍醐帝による『天長印信』書写の本文は延元4年/暦応2年6月15日(1339年7月22日)成立で、翌延二年6月16日に文観が奥書を付し完成している。


「両部大法阿闍梨位毗盧遮那
根本最極伝法蜜印
金剛界伝法灌頂密印事
摂一切如来大阿闍梨行位印
以定恵手屈肘向上合掌与肩斉各
屈戒方忍願入掌或坐或立皆成就
真言(都合で省略)

大悲胎蔵伝法灌頂蜜印
阿闍梨行位大印
以右手、背置左掌、二大指竪頭相抂、
真言(都合で省略)

故和尚云、雖義明供奉授両部大阿
闍梨法、未授此印、唯有一人、好々和尚、
可報吾恩也、有写瓶実恵、又雖
入檀授法弟子頗多、唯汝一人
授之耳、
右天長三年〈乙/巳〉三月五日、於東寺
真雅大法師授之、
伝授阿闍梨遍照金剛 (梵字省略)
此印信大師御筆也、最後
賜之、代々座主重宝也、」

「此印信大師御筆、代々座主相承之重宝也、然祖師三宝院権僧正時、一本写之、座右置之、常為拝見也、正写共三宝院嫡々相承大事、不伝此印信、輙号嫡弟者冥慮可恐々々、然今上聖主誠大師再誕、秘蔵帝王、仍為末代法流重宝、延元四年六月十五日、今上皇帝震筆所申下也、代々座主之外、不可聞見、若違此旨、宗三宝八大高祖知見証罰給、勿異々々、
于時延元四年六月十六日記之〈但一行余二十字、御脱落了、無念々々〉
醍醐寺座主大僧正法印大和尚位弘真(花押)
同六月廿五日、後宇多院御国忌、曼荼羅導師勤仕之職衆十六口、同廿六日東寺座主拝任畢」

なお「密教大辞典」には「天長の大事」の項に「天長の印信を伝ふる大事。天 長 二年 三月五日、東寺において弘法大師が眞雅に授けたまひしと伝ふる印信にして、両部大阿闍梨印明を記す。この印明はともに瑜伽経の所説なり。・・この印明を授かりしは眞雅一人なりと伝ふ。之を瑜伽大事、阿闍梨位大事、唯授一人大事等とも名け、報恩院流、地藏院流、願行意教流、義能意教流、慈猛意教流、証道意教流、伊豆流、西大寺流、金剛王院流、山本流、中院流等にこれを伝ふ。・・」とあります。

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