今日は桂昌院の命日です。
以下「護国寺史」等に依ります。
宝永二年1705六月二十二日、桂昌院が没しました。79歳。護国寺史には「宝永二年六・二十二、桂昌院没し二十三日葬送の儀あり快意これに供奉する」と。
桂昌院は京都の八百屋の娘とされ、3代将軍・徳川家光の側室になり、5代将軍・綱吉を生む。通称は玉。「玉の輿」はここから生まれたとされる。神仏に深く帰依し、奈良の東大寺、新薬師寺、唐招提寺、法隆寺、室生寺などを復興、また京都善峯寺は桂昌院の父の祈願寺でここに祈願して桂昌院が無事生まれた、とされ、桂昌院は後に善峯全山の伽藍を改築しています。
そして護国寺は桂昌院が綱吉公を生むときの護持僧亮賢を住職として綱吉が延宝九年1681に建立しています。
又、春日大社には「桂昌殿」を寄進。京都市北区の今宮神社も復興し江戸護国寺の境内にも今宮神社を勧請しています。
護国寺史をみると桂昌院の復元胸像があり之を見る限り美人ではありませんが、やはり深い信心から常人を超えたものがあったのでしょう。護国寺の本堂には最近まで「玉の輿」の語源となった桂昌院(お玉の方)の駕籠がありましたが質素なものでした。
護国寺はいまでも信心深い人々には数限りないお陰を与えています。わたしも無数のお陰を受けてきました。まさに桂昌院の衆生済度の強い誓願が今尚生きていると言わざるを得ません。高野山の修行僧も護国寺を参拝して「どうして護国寺は不思議な有難い気がするのでしょうか」と聞いてきたことがあります。
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