福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

高村薫「空海」について

2015-12-10 | 法話
先ほど書店で高村薫「空海」を」立ち読みしました。題からしてお大師様を呼び捨てにしてとんでもない著者だと思いましたが、目次を読んでいくと「オウムと密教の違い」というような趣旨の所がありました。そこだけよんでみましたが、
1、オウム信者を密教等の既成宗教が取り込めなかったのは「三昧」体験をさせない(させられない)からだという趣旨の事がかいてありました。
2、またオウムと密教の違いは慈悲心や脱俗性の有無であるという趣旨のことも書いてあったようです(正確ではありませんが)。

⑴、このうち三昧体験についてはどの宗教に入っても三昧体験をする体質の人はします。オウムがそれを売り物にしていただけの話でしょう。密教僧は種々の行法を行う中で三昧にはいることはありますがそれをことさら売り物にしないだけの話です。観音経でとく「施無畏」、禅の「身心脱落」などすべて「三昧」の境地の事を言っているのでしょう。「三昧」を売り物にするなどとんでもないことです。
⑵さらに、オウムと真正密教の違いが慈悲心や脱俗性の有無であるが、余り違いはないのではないか・・という趣旨の記述は頂けません。違いはズバリ持戒にあります。お大師様も持戒を一番大切にされています。オウムのように一切の戒律を破壊していくら「三昧」に浸ってもそれは魔のしわざです。著者もこのくらいの単純なことには気が付いてほしいものです。
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