福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・20

2024-01-20 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・20

二には縁覚身

三に聲聞身。佛の説法の聲を聞いて得道するが故に名く。

「應以聲聞身得度者。即現聲聞身而爲説法」

釈迦一代の舎利佛目蓮等の内秘外現の聲聞等の類なり。或は蔵通の聲聞となり、或は五味に随って次第に轉じて終に法華一乗に會する聲聞と成るなり。

「而爲説法」とは四諦の法及び人天乗の法なり。人は五戒、天は十善及び四禪四無色定。若し大日經の意に依らば、大日所現の聲聞、能く三密の法を説く。

 

二には天身に六。一には梵王身。(梵は天竺の語。此には浄と云。婬欲を離れて不浄の行なければなり。是は三界の主なり。)

「應以梵王身得度者。即現梵王身而爲説法」

「梵王」とは四禅の十八天(三界諸天の中、色界にあるという一八の天。初禅天に梵衆天・梵輔天・大梵天の三、第二禅天に少光天・無量光天、・極光浄天の三、第三禅天に少浄天・無量浄天・遍浄天の三、第四禅天に無雲天・福生天・広果天・無想天・無煩天・無熱天・善現天・善見天・色究竟天の九)に皆梵王あり。今の梵王は是初禪頂の尸棄梵王なり。初禪までは内心に覚(麁)観(細)とて麁細の分別あるが故に外に言語を出す(二禪以上は覚観なきが故に言語の法なし)。天竺の文字は成劫の初めに梵王下って四十七言の摩多體文(摩多は母音、體文は子音)を説く。それよりこのかた相承し来って、此の四十七文字を以て、或は単字、或は二合・三合乃至六合し(體文)、それに點畫を加て、轉聲するが故に無盡の文字を造り出す。喩へば日本の以呂波四十七文字を以て一切の音聲を書に能はざることなきが如し。凡そ我朝の言と梵語と通つ゛ること多し。梵には素羅、唐には天と云。日本には天を空と云。又梵には伊多、唐には到と云。到の字、日本には、いたると訓ず。又梵には婆梨(ばり)、随には鉤(こう)と云。鉤の字、倭には、つりばりと訓ず。此の類甚だ多し。此れ則ち我が国は大日の本国なるが故なり。又梵の名は天竺の文字には「ばん」(梵字)字、即ちこれ大日の種子なり。又「ばん」(梵字)字の本体たる「ば」(梵字)字は言説の義なり。梵王は言語の根本の天なれば、「ばん」(梵字)字を其の名となす。大日も又其の説法無等比如来(大毘盧遮那成佛神變加持經卷第三悉地出現品第六「毘盧遮那世尊。告執金剛祕密主言  我一切本初 號名世所依 説法無等比 本寂無有上」)なれば「ばん」(梵字)字を其の種子とす。日本国の形は「ばん」(梵字)字の首を西に成したる形なり。又獨股の形ともいへり。獨股は両部不二の大日獨一法身の形なり。又是阿弥陀如来の三形なり。日本国の宗廟大祖たる天照太神の本地は大日なり。又聖観音なり。彌陀、観音も本来一體なり。又本朝に始めて真言を弘むるは弘法大師なり。此れ又天照太神と内證一體なり。唐には真言教断絶せりといへども、日本獨り密法流布して此れを以て朝家を守護し奉ること、國と云ひ、神と云ひ、一方ならざる故あればなり。又伊弉諾伊弉冉の尊は欲界頂の伊舎那天なり。是又大日の等流身なり。是密宗相伝の甚深の奥義なり。今の經に梵王を観音の所變と云こと、大きに所以あるにや。

「而為説法」とは、別行の義疏には、出欲論を説くといへり。出欲とは梵王は欲界の五欲を出離せんが為に尒(しか)名くるなり。但し是尚一途の釈なり。通じては五戒十善等。四無量心の法門(四無量心は梵王の修せしところなり)初禅定等を説くべし。又瞿伽梨(くかり)(提婆が弟子)が舎利弗・目連を婬を犯じたりと謗ぜしを不可なりと諫めし梵王は不還果を得たりといへり。

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尒らば四諦の法門等をも説くべし。又浄命經には、舎利弗は、此の土は瓦礫刺棘あって不浄なりと云ひしを螺髻梵王(らけぼんのう)は此の土は自在天宮の如くにして荘厳殊妙なりと云へり。此れは一乗實相の佛慧を解るが故に、穢に即して浄を見るなり。又新華厳の第一巻列衆の中には尸棄天王・慧光天王等の十梵王を説けり(大方廣佛華嚴經卷第一世主妙嚴品第一之一「復有不可數大梵天王。所謂。尸棄天王。慧光天王。善慧光明天王。普雲音天王。觀世言音自在天王。寂靜光明眼天王。光遍十方天王。變化音天王。光明照耀眼天王。悦意海音天王。如是等而爲上首。不可稱數。皆具大慈。憐愍衆生。舒光普照。令其快樂」)。是は別圓の大機なり。其の中に觀世言音自在天王あり。若し是観世音の變身なるべし。其の名已に同じきが故に。又梵王所演の四十七字の梵文、一一に皆本不生の三諦不可得の理を含めり。是真言最上佛乗の奥旨なり。豈翅(ただ)出欲論のみならんや。

 

 

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