今回の事件は「構造改革」で日本の現場が崩壊している象徴
以前から大合唱となっていた「構造改革」は「痛みを伴う構造改革」といい、緊縮財政・規制緩和・聖域なき民営化を推し進めましたがこの前提となる考え方は「構造(組織)」の構成要因たる「個人」は「ロボットのようなものでいくら叩いても搾り取ってもよい」という非情なものでした。そして上層部は「組織益至上主義」となり役人は「国益よりも省益」、会社は「公益よりも会社益」、政党も「国益よりも政党益」に走り、「国益」「公益」を追求する者はいたとしても「組織益」を損なう可能性があり組織で指導者にはなれません。(むしろ外国勢力と組んで「国益」「公益」を売り飛ばして「組織益」を追い求めたのが規制緩和構造改革路線という説があります。)
霞が関に少し土地勘のあるものとしていえば、各省庁は省益拡大のため設置法の精神をわすれて「構造改革路線」に乗り一流の「経済官庁」をめざして省益拡大のためのみに日々骨身を削っています。「省益」拡大のためには「構造改革路線」に乗らねばならないのです。そこでは「現場」のことを大切に考えるのは「抵抗勢力・反改革者」なのです。現場はノンキャリに任せておればよい、というのが霞が関の考え方です。こういう風土が蔓延する中で公務員の不祥事も頻発しているのです。
今回の警察の現場の対応も「規制緩和・構造改革路線」の余風のもたらすものといってもよいでしょう。