史料綜覧 巻五 / 弘安元年(1278)六月十八日条
「十八日 興福寺食堂ニ 薬師仏ヲ造立シテ 疾疫ヲ祈禳ス」
此のころは疫病が流行り、そのため建治四年二月二十九日、弘安に改元しています。
天皇は後宇多天皇。大覚寺統。中世日本最高の賢帝の一人で、対立する持明院統の花園天皇からも「末代の英主」と称えられた。
後宇多天皇は深く仏教に帰依し、ご出家後は大覚寺に住み密教僧としてすごされた。金光明経を書写され、諸国に班置し、鎮護国家・万民撫育を祈っておられた。
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