福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

旅僧 泉鏡花 下

2014-02-08 | 法話



 恁かくて、數時間すうじかんを經へたりし後のち、身邊あたりの人聲ひとごゑの騷さわがしきに、旅僧たびそうは夢ゆめ破やぶられて、唯と見みれば變かはり易やすき秋あきの空そらの、何時いつしか一面いちめん掻曇かきくもりて、暗澹あんたんたる雲くもの形かたちの、凄すさまじき飛天夜叉ひてんやしやの如ごときが縱横無盡じうわうむじんに馳はせ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはるは、暴風雨あらしの軍いくさを催もよほすならむ、其その一團いちだんは早はやく既すでに沿岸えんがんの山やまの頂いたゞきに屯たむろせり。
 風かぜ一陣ひとしきり吹ふき出いでて、船ふねの動搖どうえう良やゝ激はげしくなりぬ。恁かくの如ごとき風雲ふううんは、加能丸かのうまる既往きわうの航海史上かうかいしじやう珍めづらしからぬ現象げんしやうなれども、(一人坊主ひとりばうず)の前兆ぜんてうに因よりて臆測おくそくせる乘客じやうかくは、恁かゝる現象げんしやうを以もつて推すゐすべき、風雨ふううの程度ていどよりも、寧むしろ幾十倍いくじふばいの恐おそれを抱いだきて、渠かれさへあらずば無事ぶじなるべきにと、各々おの/\我わが命いのちを惜をしむ餘あまりに、其その死しを欲ほつするに至いたるまで、怨恨うらみ骨髓こつずゐに徹てつして、此この法華僧ほつけそうを憎にくみ合あへり。
 不幸ふかうの僧そうはつく/″\此この状さまを※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまはし、慨然がいぜんとして、
「あゝ、末世まつせだ、情なさけない。皆みんなが皆みんなで、恁かう又また信仰しんかうの弱よわいといふは何どうしたものぢやな。此處こゝで死しぬものか、死しなないものか、自分じぶんで判斷はんだんをして、活いきると思おもへば平氣へいきで可よし、死しぬと思おもや靜しづかに未來みらいを考かんがへて、念佛ねんぶつの一ひとつも唱となへたら何どうぢや、何方どつちにした處ところが、わい/\騷さわぐことはない。はて、見苦みぐるしいわい。
 然しかし私わしも出家しゆつけの身みで、人ひとに心配しんぱいを懸かけては濟すむまい。可よし、可よし。」
 と渠かれは獨ひとり頷うなづきつゝ、從容しようようとして立上たちあがり、甲板デツキの欄干てすりに凭よりて、犇ひしめき合あへる乘客等じようかくらを顧かへりみて、
「いや、誰方どなたもお騷さわぎなさるな。もう斯かうなつちや神佛かみほとけの信心しんじんでは皆みなの衆しうに埒らちがあきさうもないに依よつて、唯たゞ私わしが居ゐなければ大丈夫だいぢやうぶだと、一生懸命いつしやうけんめいに信仰しんかうなさい、然さうすれば屹度きつと助たすかる。宜よろしいか/\。南無なむ、」
 と一聲ひとこゑ、高たからかに題目だいもくを唱となへも敢あへず、法華僧ほつけそうは身みを躍をどらして海うみに投とうぜり。
「身投みなげだ、助たすけろ。」
 船長せんちやうの命めいの下もとに、水夫すいふは一躍いちやくして難なんに赴おもむき、辛からうじて法華僧ほつけそうを救すくひ得えたり。
 然しかりし後のち、此この(一人坊主ひとりばうず)は、前さきとは正反對せいはんたいの位置ゐちに立たちて、乘合のりあひをして却かへりて我われあるがために船ふねの安全あんぜんなるを確たしかめしめぬ。
 如何いかんとなれば、乘客等じようかくらは爾しかく身みを殺ころして仁じんを爲なさむとせし、此この大聖人だいせいじんの徳とくの宏大くわうだいなる、天てんは其その報酬はうしうとして渠かれに水難すゐなんを與あたふべき理由いはれのあらざるを斷だんじ、恁かゝる聖僧せいそうと與ともにある者ものは、此この結縁けちえんに因よりて、必かならず安全あんぜんなる航行かうかうをなし得うべしと信しんじたればなり。良やゝ時ときを經へて乘客じようかくは、活佛くわつぶつ――今いま新あらたに然しか思おもへる――の周圍しうゐに集あつまりて、一條いちでうの法話ほふわを聞きかむことを希こひねがへり。漸やうやく健康けんかうを囘復くわいふくしたる法華僧ほつけそうは、喜よろこんで之これを諾だくし、打咳うちしはぶきつゝ語出かたりいだしぬ。
「私わしは一體いつたい京都きやうとの者もので、毎度まいど此この金澤かなざはから越中ゑつちうの方はうへ出懸でかけるが、一度どある事ことは二度どとやら、船ふねで(一人坊主ひとりばうず)になつて、乘合のりあひの衆しうに嫌きらはれるのは今度こんどがこれで二度目どめでござる。今いまから二三年前ねんまへのこと、其時そのときは、船ふねの出懸でがけから暴風雨模樣あれもやうでな、風かぜも吹ふく、雨あめも降ふる。敦賀つるがの宿やどで逡巡しりごみして、逗留とうりうした者ものが七分ぶあつて、乘のつたのはまあ三分ぶぢやつた。私わしも其時分そのじぶんは果敢はかない者もので、然さう云いふ天氣てんきに船ふねに乘のるのは、實じつは二にの足あしの方はうであつたが。出家しゆつけの身みで生命いのちを惜をしむかと、人ひとの思おもはくも恥はづかしくて、怯氣々々びく/\もので乘込のりこみましたぢや。さて段々だん/\船ふねの進すゝむほど、風かぜは荒あらくなる、波なみは荒あれる、船ふねは搖ゆれる。其その又また搖ゆれ方かたと謂いうたら一通ひととほりでなかつたので、吐はくやら、呻うめくやら、大苦おほくるしみで正體しやうたいない者ものが却かへつて可羨うらやましいくらゐ、と云いふのは、氣きの確たしかなものほど、生命いのちが案あんじられるでな、船ふねが恁かうぐつと傾かたむく度たびに、はツ/\と冷つめたい汗あせが出でる。さてはや、念佛ねんぶつ、題目だいもく、大聲おほごゑに鯨波ときの聲こゑを揚あげて唸うなつて居ゐたが、やがて其それも蚊かの鳴なくやうに弱よわつてしまふ。取亂とりみださぬ者ものは一人ひとりもない。
 恁かう云いふ私わしが矢張やはりその、おい/\泣ないた連中れんぢうでな、面目めんぼくもないこと。
 昔むかし彼かの文覺もんがくと云いふ荒法師あらほふしは、佐渡さどへ流ながされる船路みちで、暴風雨あれに會あつたが、船頭水夫共せんどうかこどもが目めの色いろを變かへて騷さわぐにも頓着とんぢやくなく、大だいの字じなりに寢ねそべつて、雷らいの如ごとき高鼾たかいびきぢや。
 すると船頭共せんどうどもが、「恁※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)こんな惡僧あくそうが乘のつて居ゐるから龍神りうじんが祟たゝるのに違ちがひない、疾はやく海うみの中なかへ投込なげこんで、此方人等こちとらは助たすからう。」と寄よつて集たかつて文覺もんがくを手籠てごめにしようとする。其時そのとき荒坊主あらばうず岸破がばと起上おきあがり、舳へさきに突立つゝたツて、はつたと睨ねめ付つけ、「いかに龍神りうじん不禮ぶれいをすな、此この船ふねには文覺もんがくと云いふ法華ほつけの行者ぎやうじやが乘のつて居ゐるぞ!」と大音だいおんに叱しかり付つけたと謂いふ。
 何なんと難有ありがたい信仰しんかうではないか。強つよい信仰しんかうを持もつて居ゐる法師ほふしであつたから、到底たうてい龍神りうじん如ごときがこの俺おれを沈しづめることは出來できない、波浪はらう不能沒ふのうもつだ、と信しんじて疑うたがはぬぢやから、其處そこでそれ自若じじやくとして居ゐられる。
 又また死しんでも極樂ごくらくへ確たしかに行ゆかれる身みぢやと固かたく信しんじて居ゐる者ものは、恁かう云いふ時ときには驚おどろかぬ。
 まあ那樣事そんなことは措おいて、其時そのとき船ふねの中なかで、些ちつとも騷さわがぬ、いやも頓とんと平氣へいきな人ひとが二人ふたりあつた。美うつくしい娘むすめと可愛かはいらしい男をとこの兒こぢや。※弟きやうだい[#「女+(「第-竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA、9-3]と見みえてな、似にて居ゐました。
 最初さいしよから二人ふたり對坐さしむかひで、人交ひとまぜもせぬで何なにか睦むつまじさうに話はなしをして居ゐたが、皆みんながわい/\言いつて立騷たちさわぐのを見みようともせず、まるで別世界べつせかいに居ゐるといふ顏色かほつきでの。但たゞ金石間近かないはまぢかになつた時とき、甲板かんぱんの方はうに何なにか知しらん恐おそろしい音おとがして、皆みんなが、きやツ!と叫さけんだ時ときばかり、少すこし顏色かほいろを變かへたぢや。別べつに仔細しさいもなかつたと見みえて、其内そのうち靜しづまつたが、※弟きやうだい[#「女+(「第-竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA、9-7]は立たちさうにもせず、まことに常つねの通とほりに、澄すまして居ゐたに因よつて、餘あまり不思議ふしぎに思おもうたから、其日そのひ難なんなく港みなとに着ついて、※弟きやうだい[#「女+(「第-竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA、9-8]が建場たてばの茶屋ちややに腕車くるまを雇やとひながら休やすんで居ゐる處ところへ行いつて、言葉ことばを懸かけて見みようとしたが、其その子達こだちの氣高けだかさ!貴たふとさ! 思おもはず此この天窓あたまが下さがつたぢや。
 そこで土間どまへ手てを支つかへて、「何どういふ御修行ごしゆぎやうが積つんで、あのやうに生死しやうじの場合ばあひに平氣へいきでお在いでなされた」と、恐入おそれいつて尋たづねました。
 すると答こたへには、「否いゝえ、私等わたくしどもは東京とうきやうへ修行しゆぎやうに參まゐつて居ゐるものでござるが、今度こんど國許くにもとに父ちゝが急病きふびやうと申まをす電報でんぱうが懸かゝつて、其それで歸かへるのでござるが、急いそいで見舞みまはんければなりませんので、止やむを得えず船ふねにしました。しかし父樣おとつさんには私達わたしたち二人ふたりの外ほかに、子こと云いふものはござらぬ、二人ふたりにもしもの事ことがありますれば、家いへは絶たえてしまひまする。父樣おとつさんは善よいお方かたで、其それきり跡あとの斷たえるやうな惡わるい事こと爲置しおかれた方かたではありませんから、私わたくしどもは甚※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)どんな危あぶない恐こはい目めに出會であひましても、安心あんしんでございます。それに私わたくしが危あやふければ、此この弟おとうとが助たすけてくれます、私わたくしもまた弟おとうと一人ひとりは殺ころしません。其それで二人ふたりとも大丈夫だいぢやうぶと思おもひますから。少すこしも恐こはくはござらぬ。」と恁かう云いふぢや。私わしにはこれまで讀よんだ御經おきやうより、餘程よつぽど難有ありがたくて涙なみだが出でた。まことに善知識ぜんちしき、そのお庇かげで大おほきに悟さとりました。
 乘合のりあひの衆しうも何なにがなしに、自分じぶんで自分じぶんを信仰しんかうなさい。船ふねが大丈夫だいぢやうぶと信しんじたら乘のつて出でる、出でた上うへでは甚※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)どんな颶風はやてが來こようが、船ふねが沈しづまうが、體からだが溺おぼれようが、なに、大丈夫だいぢやうぶだと思おもつてござれば、些ちつとも驚おどろくことはない。こりやよし死しんでも生返いきかへる。もし又また船ふねが危あぶないと信しんじたらば、乘のらぬことでござるぞ。何なんでもあやふやだと安心あんしんがならぬ、人ひとを恃たのむより神佛しんぶつを信しんずるより、自分じぶんを信仰しんかうなさるが一番いちばんぢや。」
 船ふねの港みなとに着つきけるまで懇ねんごろに説聞とききかして、此この殺身爲仁さつしんゐじんの高僧かうそうは、飄然へうぜんとして其その名なも告つげず立去たちさりにけり。


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