福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)・・その2

2014-02-08 | 講員の活動等ご紹介

第二課 誰でも持つたから



頭は考えて分別し、
胸は感情を披瀝する。
腹は蔵おさめて貯え、
手足は動いて実地に当ってみる。
頭でいけなければ胸で、
胸でいけなければ腹で、
腹でいけなければ手足で、
そして全体として、完全な協同作業チームワークが取れています。

 私たちの唯一の財産、最初にして最後の財産=身体には、これだけの機能はたらきが備わっています。およそ世の中に、これだけの機能の備わっている道具は、又とあるでしょうか。これだけの機能を使って出来ないことがあるでしょうか。私たちが今までこれに気が付かなかったのは愚かな至りです。周囲まわりのものばかりに気を奪とられ、羨んでいたのは笑止の沙汰です。早速、使い出してみよう。使い出してみるとなるほどこれは調法です。
 法華経見宝塔品という経文の中に、多宝塔(この宝塔の中には如来全身有す)という塔が地中より涌き上って空中に止まり、その中に多宝如来と釈迦仏とが並んで座せられる場面が書いてあります。
 この場面で、多宝如来は真理を現し、釈迦仏は智慧を現している。そして多宝塔は私たちの身体からだを象徴かたどったものです。私たちの精神肉体の一致しているこの身体は、使えばあらゆる真理、あらゆる智慧が取出せる。そこを、多宝塔中、釈迦多宝の二仏の並座で表現あらわしたのです。つまり私たちの身体、一名多宝塔です。多宝というくらいだから、私たちの身体には万宝が含み備わっているに違いない。
 知らないうちは兎とに角かく、そうと知った以上、塔の中の宝を、身体の価値を、ぽつぽつ取出して行こう。これだけの宝を持っていながら、なにをうかうか他所よそばかり見て、無暗むやみに宝を探しあぐねていたろう。五体を丹念に、まめやかに、正直に、使って行くところに、私たちの本当に授かる宝は取出されるのです。
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