三十日秘仏によると
二日は燈明仏 の日です。「定珍曰く、『日月燈明と云は、 雲自在燈王と云と同體異名也 、雲月一躰の貌これに合すべし。』」( 日月燈明佛は過去世に出世して法華経をといた佛。仏の知恵の光明が日月のごとく一切衆生を照らすところからなずけられたものです。)
法華経常不軽菩薩品に「・・是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於て、具さに威音王仏の先に説きたもう所の法華経二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根清浄・耳・鼻・舌・身・意根清浄を得たり。是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳、広く人の為に是の法華経を説く。時に増上慢の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の是の人を軽賎して為に不軽の名を作せし者、其の大神通力・楽説弁力・大善寂力を得たるを見、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。是の菩薩復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。命終の後二千億の仏に値いたてまつることを得、皆日月燈明と号く。其の法の中に於て是の法華経を説く。是の因縁を以て復二千億の仏に値いたてまつる、同じ雲自在燈王と号く。此の諸仏の法の中に於て受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼清浄・耳・鼻・舌・身・意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於て法を説くに、心畏るる所なかりき・・」とあります。
二日は燈明仏 の日です。「定珍曰く、『日月燈明と云は、 雲自在燈王と云と同體異名也 、雲月一躰の貌これに合すべし。』」( 日月燈明佛は過去世に出世して法華経をといた佛。仏の知恵の光明が日月のごとく一切衆生を照らすところからなずけられたものです。)
法華経常不軽菩薩品に「・・是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於て、具さに威音王仏の先に説きたもう所の法華経二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根清浄・耳・鼻・舌・身・意根清浄を得たり。是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳、広く人の為に是の法華経を説く。時に増上慢の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の是の人を軽賎して為に不軽の名を作せし者、其の大神通力・楽説弁力・大善寂力を得たるを見、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。是の菩薩復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。命終の後二千億の仏に値いたてまつることを得、皆日月燈明と号く。其の法の中に於て是の法華経を説く。是の因縁を以て復二千億の仏に値いたてまつる、同じ雲自在燈王と号く。此の諸仏の法の中に於て受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼清浄・耳・鼻・舌・身・意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於て法を説くに、心畏るる所なかりき・・」とあります。