史料綜覧
「正応五年1292十月五日、幕府諸国に令して敵国降伏の祈を行はしむ」
天皇は伏見天皇。鎌倉幕府は久明親王、執権は北条貞時。
(以下ウキぺデア・宸翰英華等に依ります。)
弘安四年(1281)に弘安の役が終わったのちも、弘安五年1282には、クビライは日本侵攻を諦めきれず再度日本侵攻を計画、高麗王・忠烈王は、150艘の軍船を建造して日本侵攻を助けたい旨をクビライに上奏したりしています。
クビライの後を継いだテムル(鐵穆耳)は即位後の1297年9月に、再度瑠求へ侵攻。島民130人を拉致。
1299年(正安元年・大徳3年)、テムル(鐵穆耳)が、補陀禅寺の僧・一山一寧を正使として国書を託して日本へ派遣。
1301年(正安3年・大徳5年)11月、薩摩国甑島の沖に異国船200隻が出現し襲撃。
などと不穏な動きが続いていました。
伏見天皇は元寇に遭遇して多くの写経・祈願をされています。正応五年(1292)には唯識三十頌の写経を春日大社に納めて祈願されたり正応六年には前年の高麗使者の無礼を伊勢神宮に報告する宣命を起草されたりしています。
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