川端茅舍はウィキペヂアによれば「1941年7月17日43歳で死去」。「高浜虚子に師事し、虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』とまで言わしめたホトトギス・写生派の俳人。・・京都の東福寺の正覚庵に籠もり、絵や句の制作に勤しみ、同時に仏道に参じる。凛然とし朗々たる独特な句風は『茅舎浄土』と呼ばしめる。・・日本画家の川端龍子は異母兄・・」等とあります。
作品はたしかに仏教的な雰囲気のものがあり、生家の田舎寺を思い出させます。
「麗かや砂糖を掬くふ散蓮華」「春暁や先づ釈迦牟尼に茶湯して」「春昼や人形を愛づる観世音」「春の夜や寝れば恋しき観世音
「行春や茶屋になりたる女人堂」「子守沙弥心経うたふおぼろかな」「骨壷をいだいて春の天が下」「春天に鳩をあげたる伽藍かな」「涅槃会に吟じて花鳥諷詠詩」「眉描いて来し白犬や仏生会」「甘茶仏杓にぎはしくこけたまふ」「灌仏や鳶の子笛を吹きならふ
「御本山二十重の畦を塗りかたむ」「木蓮の落ちくだけあり寂光土」「花隠れ呪文きこゆるお滝様
「蝶の空七堂伽藍さかしまに」「一蝶に雪嶺の瑠璃ながれけり」「足のうらそろへ給ひぬ涅槃像」「土不踏ゆたかに涅槃し給へり
「誰が懐炉涅槃の足に置きわすれ」「花の奥鐘の響を撞きにけり」「あかあかと彼岸微塵の仏かな」「からくりの鉦うつ僧や閻魔堂
」「閻王や蒟蒻そなふ山のごと」「御宝前のりだし給ふ閻魔かな」「蒟蒻に切火たばしる閻魔かな
「和尚また徳利さげくる月の庭」「月の道踏み申す師の影法師」「金剛の露ひとつぶや石の上」「ぜんまいののの字ばかりの寂光土
「朴散華即ちしれぬ行方かな」