福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

戊戌初詣で〜奈良 長谷寺・室生寺参拝記

2018-01-12 | 頂いた現実の霊験
戊戌初詣で〜奈良 長谷寺・室生寺参拝記

明けましておめでとうございます。
講員の皆さまにおかれましては、お変わりなくお健やかに新しい年をお迎えのことと存じます。
今年も昨年同様に、各方面にて増々のご精進に励まれるすようお祈り申し上げます。

さて、私事ながら、新年にあたり奈良の長谷寺、室生寺にお参りをさせていただくことが出来ましたので、ご報告をさせていただきます。

1月4日、快晴の空のもと、朝7時20分発ののぞみ号で京都にむかいました。新幹線の車窓には雲一つない真っ青な空に富士山が大きく姿を表し、清々しい気持ちになりました。途中米原あたりでは雪が舞い雪化粧をして白くなった田園や山々が目に飛び込みます。わずか2時間ほどの間にこれだけの景色の移り変わりがあると映画でも見ているような気持ちになります。
京都駅で近鉄特急に乗り換え、さらに大和八木で普通電車に乗り換えて、長谷寺駅に到着したのは午前11時。
駅に降り立ち、駅舎から出て空を見上げると曇り空で陽射しはほとんどありません。ですが、真冬の引き締まった空気が心地よく、清浄な空気で胸が満たされるのを感じます。駅は高台にあるのでまずはいったん石段をくだり、1車線ほどの幅の参拝道を進みます。
前回、長谷寺を詣でましたのは、高原講元に先達をしていただいた高野山結縁灌頂後、長谷寺、室生寺、岡寺、壺阪寺へと続いた巡拝旅行の折でありました(2010年5月)。参道の風景に当時のことを懐かしく思い出しながら、三が日明けで人気もまばらな道を10分ほど歩き進むと、いよいよ長谷寺境内が見えてきました。入山料を払い、石段を上がり仁王門をくぐると、目に入ってくるのはゆるやかでまっすぐな登廊です。屋根のついたゆるやかな石段が本堂に向かって伸びています。石段の脇に等間隔に植えられたボタンは丁寧に藁の菰で雪囲いされています。「花の寺」といわれる長谷寺、四季折々に美しい花が咲き、訪れる人の心に安らぎを与えてくださいます。冬でさえも、雪囲いされた赤いボタンが、まるで小さな子どもがマントを被ったような愛らしい姿で咲いています。
中登廊までくると階段も急になります。息を切らして階段を登りきり本堂に到着すると、ちょうど、信者さんが何かのご祈祷をお願いされたようで読経が聞こえます。ありがたいことなので、読経が聞こえる間、本堂のすみでひっそりと手を合わせました。
長谷寺の観音様は十一面観音、大きさは10メートルを超える大きな観音様です。国宝の舞台造の本堂の奥の真ん中にどっしりと鎮座なさった姿は慈悲にあふれていて、同行のMさんはその姿に心打たれたと言います。私も、本堂でご本尊の前に立ってみると、何百年も前から計り知れないほど多くの人々が、ここでこうしてこの観音様に祈りを捧げてきたことが心に届き、過去と現在と未来がこの場ではすべて同時におきているようななんとも不思議な感覚になっていました。
ご本尊前で手を合わせ、本堂のまわりをぐるりと一周した後、納経所で納経をお願いしました。前回の参拝の時に持参した西国三十三カ所の御朱印帳には重ねをしていただき、せっかくなのでもう1冊の御朱印帳にはご詠歌の御朱印と西国1300年の記念印をいただきました。その重ねをいただく際、「前回の御朱印も私が書かせていただいたものですね、私の字です。」と係の僧侶の方がおっしゃいました。また、前回参拝時にいただいた梵字のカードを御朱印帳に挟んでおりましたら、「珍しいカードをお持ちですね、これをほしがる方がいらっしゃるのですよ、大事なさってくださいね。」と言ってくださいました。さらに、続けて「参道に法起院さんというお寺があって、そこは西国を始められた徳道上人さまのお寺です。番外の札所でもあるので、お帰りにぜひお寄りになってくださいね。」と教えていただきました。

その後、境内をほぼくまなく参拝し、奥の院へ向かいました。
歴代の能化がお祀りされている墓所では、護国寺でいつもご宝号を唱えさせていただいている専誉僧正にもお線香をあげさせていただくことが出来ました。
2012年から始まった護国寺定期参拝も丸6年になり今年で7年目を迎え、これまで通算72回の定期参拝を続けることができました。これも護国寺という素晴らしいお寺を今に残してくださった歴代の高僧のご遺徳のおかげと思います。
護国寺とのご縁によって救われたという思いをもっておられる講員も多くいらっしゃると思います。奥の院では、そういった諸々のお礼を込めてお参りできたように思います。

長谷寺の参拝を終えて門前の茶屋で昼食をとり、さらに法起院を参拝しました。法起院は決して大きなお寺ではありませんが、徳道上人が晩年を過ごされたお寺だそうで、境内には庚申堂や弁財天もいらっしゃいます。白州正子の「西国巡礼」にも書かれたお寺で、しみじみとした風情の中に懐かしいような親しみが感じられるお寺でした。

上人のご廟所は門前町を少し下がった南側にある。
正しくは「法起院(ほうきいん)」と称し、ささやかなお堂と、石塔が崩れたままで残っている。
上人が閻魔大王の啓示を受け、巡礼を思い立ったのは、ここであろうか。
ここでなくても、こんな庵室だったに違いない。
七堂伽藍が美々しくととのった長谷寺より、この寂れたお堂の方が今度の旅では印象的に残った。
白州正子「西国巡礼」より

徳道上人(656—736?)は長谷寺の開祖であり、西国33カ所巡礼を始められた方ということです。養老2年(718)、62歳の徳道上人が病にて仮死状態になられた際、冥土で閻魔大王に会い、「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多い故、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」とのお告げを受け、起請文と宝印を授かって現世に戻されたことから、三十三カ所巡礼が始まったということです。しかし、当時はなかなか広まらず、徳道上人亡き後、その宝印は中山寺の石棺に納められてしまいます。それから約270年後、花山法皇が熊野詣の那智山で参籠していると、熊野権現が現れ「徳道上人が納めた宝印を掘り起こし、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の教えを広めるように」とお告げをうけ、花山法皇とその弟子が三十三カ所の巡礼をしたことから、今に続く西国33カ所巡礼が人々の間に広まったとされています。
徳道上人はお大師様が真言宗を始められるより前に、閻魔さまのお告げを受けて西国巡礼を広めようとされたということになります。また、長谷寺以外にも40か寺を超えるお寺を建立されたと言い伝えもられており、今年の西国1300年をきっかけに、徳道上人のご遺功が広まることを願うばかりです。
徳道上人のご遺功に思いを馳せつつ、来た道を戻って長谷寺駅に向います。14時16分長谷寺駅発の近鉄電車に飛び乗り室生寺へと向かいました。

室生寺口大野には、14時30分過ぎに到着しました。途中、大粒の雪がはらりはらりと落ちてきました、だいぶ冷え込んできたようです。
駅を出てみると雪こそ降ってはいませんが、冷え込んできました。しかし、寒さを避ける場所が見当たりません。改札口を出た脇にある小さな待ち合い所を併設した案内所も閉まっており、仕方なく駅前のロータリーのバス乗り場に向かいました。するとすぐに室生寺行きのバスが到着しました。発車時間まではまだ15分以上ありましたが、そのバスに乗り込むことができ、寒さを避けることができました。
バスは15時ちょうどに発車し、磨崖仏が有名な大野寺を通過し、室生川にそった道を進み20分ほどで室生寺に到着しました。真冬の室生川は水量も少なく、川を挟んだ山肌のしじまがいっそう心にしみます。室生寺に近づくにつれ、全てが静寂に覆われていくような感覚に陥ります。

バスを降り、お土産物屋や茶店を通り過ぎ左折すると、欄干の朱塗りが鮮やかな太鼓橋が見えてきます。橋の手前には、土門拳が長期逗留したことで有名な橋本屋旅館があります。橋を渡り山門を抜けてすぐに左手に曲がり、受付で入山料を払います。仁王門をくぐり、鎧坂と呼ばれる急な石段を登っていくと、前方に国宝の金堂の屋根が見えてきました。金堂は本堂参拝後にお参りさせていただくことにして、本堂に急ぎます。冬期の閉門時間は16時ですので、納経の締め切り時間も迫り、本堂(灌頂堂)に着くと早々に納経所に御朱印帳をお渡し、急いでご本尊様の如意輪観音様を拝ませていただきました。頭を丸めた尼僧が御朱印を押してくださいましたが、納経日を間違えて1月5日と書き込んでしまったということで、納経料の受け取りをお断りなさいましたが、お布施ですので納めさせてくださいと申し上げ、受け取っていただきました。
奥の院までお参りをさせていただきたいところでしたが、奥の院の拝観は3時半までとのこと、時間切れでお参りができませんでした。これは次回の楽しみにと思います。

金堂同様、本堂も国宝に指定されています。鎌倉時代後期の建築です。数百年分の人々の祈りがしみこんだ床や柱を、自分の手や足で直接に触れることができるとは奇跡のようです。山里の自然と一体化した室生寺の佇まいはまさに幽玄で、生まれ変わったら、この境内の草木になってみたいと思います。梅の花も桜の花も、紅葉も無いこの真冬にあっても、境内の佇まいは清らかに美しいのです。女人高野と呼ばれて久しい室生寺、女性の心を惹きつけてやまない理由は、そのような佇まいにもあるのではないでしょうか。
本堂の拝観を終えて、金堂に向かいます。金堂の堂内須弥壇上には向かって左から十一面観音立像、文殊菩薩立像、本尊釈迦如来立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像、その手前には十二神将も安置されており、その全て国宝か重要文化財に指定されています。どの仏様も優れて立派なもので、室生寺に信仰を寄せた人々の権勢を感じさせられました。

室生寺に信仰を寄せた人の中でも、とくに大きな貢献をした人が桂昌院だそうです。当時、荒廃しかかっていた室生寺を桂昌院が多額の寄付を行うことで、再建し救ったそうです。その際に、それまで興福寺の配下にあった室生寺が真言宗のお寺となりました。そのことから、室生寺の寺紋は、徳川家の葵の紋と「九目結紋(ここのつめゆいもん)」という桂昌院様のご実家の家紋です。この寺紋は、表門の脇に立つ女人高野室生寺と書かれた石柱にもしっかりと刻まれておりました。
護国寺の仏縁が室生寺まで通じているようで、つくづくと仏縁というのは不思議なものだと思いました。

そうこうするうち、閉門時間がきてしまいました。山門を出ると太鼓橋には、既に夜間立ち入り禁止が示されており、急いで川を渡りました。
次にお参りできる時には、室生寺に近い宿に泊まりゆっくりとお参りをさせていただきたいね、と同行のMさんと話ながらバスを待ち、16時30分発のバスで室生寺口大野駅に向かいました。室生口大野駅から電車を乗り継いで、宿泊地のJR奈良駅には18時ころに到着しました。早朝からの移動と石段の上り下りで身体は疲れていましたが、長谷寺、室生寺と本当にありがたいお参りをさせていただけたことで、翌日の浄瑠璃寺へのお参りへの期待がふくらむ夜になりました。


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