今日は明恵上人が夢で御大師様に即身成仏の印を教わった日です
(夢記・長承四年1135四月廿日)「酉剋許、行法の間、自ら、阿弥陀佛は是大日如来成菩提の一徳なり。而して我今口誦の真言手握念珠之を勤行す。即ち是成仏の行なり。所以は何と云ふと思惟す。口に云う念珠経、観音自在王如来也。然れば即身成仏の種子はキリク字(梵字)にやと、思念の間、非夢非覚に後方に吾が大師、仰せられて云く、『即身成仏の種子には阿字(梵字)をするぞ』と。時に奇異の思いを成す云々。」
そして明恵上人は御大師様のお示しの即身成仏の印明で御入滅されています。
「栂尾明上人伝記」には「同じき十九日(寛喜4年(1232年)1月19日)『今日臨終すべし』とて・・『於第四兜率天四十九重摩尼殿、昼夜恒説不退行、無数方便度人天』(「彌勒講式」の一節)と誦し、そののち又、『稽首大悲清浄智、利益世間慈氏尊 灌頂地中佛長子 隋順思惟入佛境(大方廣佛華嚴經卷第三十四 入不思議解脱境界普賢行願品)』と誦して後、『この五字(文殊菩薩ご真言「あらはしやのう」)に八万四千の修多羅蔵を摂す。五字を誦せよ』とて誦せさせて、われは理供養の作法(印を結んで観念する作法)を以て行法あり。行法終わって後、合掌して唱えて曰はく、『我昔所造諸悪業. 皆由無始貪瞋痴. 従身口意之所生. 一切我今皆懺悔(これも華厳経普賢行願品より.唯一の清僧といわれた明恵上人にしてこのお言葉です。)』と誦して定印に住して坐禅す。やや久しくして出定して告げていわく、『其の期近付きたり。右脇に伏すべし。』(お釈迦様は御入滅の時、北枕で右脇を下にして西を向かれていましt)いました。)とて臥し給ふ。手を蓮華拳(胎蔵法の時に行者が常に結ぶ印)に作りて身の上に構えて胸の間に置く。右の足を直く伸べたり。左の足をば少し膝を屈して上に重ねたり。面貌歓喜の粧ひ、忽ちに顕はれ、微咲を含み、安然として寂滅し給ふ。春秋六十歳なり。」