多くの人の臨終を見てきましたが、心から安らかな死を迎える人はまれです。皆、不安な表情で死を迎えます。笑顔で死んでいく人はほとんどいません。これは生前全く死に対する深い心構えが出来ていない為でしょう。
「精勤して心を習ふものは終わる時も悔恨なし。心意すでに専至なれば錯乱の念あることなし。智者は勤めて心を捉ふれば臨終には意散らず。心を習ふこと専至ならざれば臨終にな必ず散乱す。(往生要集上)」(源信の意は「心が煩悩にまみれていると悟る者は臨終にも迷わない」という意味でしょうが、密教的には「心も大日如来であり、生死は関係ない」と悟ることができれば臨終にも迷わない、というようにとれます)
「精勤して心を習ふものは終わる時も悔恨なし。心意すでに専至なれば錯乱の念あることなし。智者は勤めて心を捉ふれば臨終には意散らず。心を習ふこと専至ならざれば臨終にな必ず散乱す。(往生要集上)」(源信の意は「心が煩悩にまみれていると悟る者は臨終にも迷わない」という意味でしょうが、密教的には「心も大日如来であり、生死は関係ない」と悟ることができれば臨終にも迷わない、というようにとれます)