祈っても祈っても願いは叶えられない時があります。こういう時は運命を呪い神仏を怨みます。まさにこの世は四苦八苦の「娑婆(忍苦)世界」であると思い知らされる時があります。しかしよくよく自分の人生を反芻してみると、よかったことも必ずあります。親の愛情に恵まれた、望む学校に行けた、体が丈夫であった、親切な友人がいた、願いがかなったことがあった・・等等です。「祈りは神を変えず、祈る者を変える。(キルケゴール)」という言葉があるようですが、「祈りは運命を変えることもあるし、変える事のできない時もある」というのが自分のいままでの感想です。
如何なるときに運命を変える事ができるか,というに、「我昔所造諸悪業」と自分や家系の「業の深さ」を実感しつつ祈願するときは、運命を変える事ができているが、逆に「どうして自分だけがこのような酷い目に遇はなければならないのか」などと恨み言をいっている間は祈りは聞き届けられていません。「祈る者が変わらなければ運命も好転しない」とでもいうところでしょうか。キルケゴールの言葉を反転すれば「祈る者が変われば神(運命)も変わる」となります。