「福聚講護国寺定例参拝記録
福聚講(高原耕曻講元)は、2月16日(土)午後3時、東京・文京の大本山護国寺定例参拝を行いました。この日は、厳冬の季節には珍しく空には雲一つない晴天で、かつ温かさを感じる、絶好のお参り日よりでした。翌々日の18日が、ご本尊の御開帳の日とあってか参詣する人は、境内も本堂もまばらでした。 がらんとした本堂の風情も、たまにはいいものです。無責任な言い方かもしれませんが、大多数の参詣者に埋め尽くされ立錐の余地もない熱気に溢れる大本堂の風情もいいものですが、大広間の中に私達だけの集団だけという光景も贅沢この上もない有り難いものでした。何時もの通り、高原講元様の御導師で勤行式を行いました。内陣向かって左側には豪華なお釈迦様の涅槃図が懸けられており、また、胎蔵界・金剛界の曼陀羅もあり、豪壮な雰囲気が漂っていました。高原講元様から、懇切丁寧なお釈迦様の涅槃図の解説をして頂きました。誰にも邪魔されることなく心ゆくまで、贅沢なひと時を過ごすことが出来ました。有り難い感謝の勤行でした。
護国寺も、節分の豆まき、お釈迦様の涅槃会など大事な行事が續きさぞ、忙しかったことでしょう。ここらへんで少し、息抜きをして頂いてはと思った次第です。私の、護国寺参拝行はまた(仲間の講員さんもそうでしょうが)私の佛道修行の一部になり、月一回の参拝が待ち遠しいほどになりました。そして、護国寺に足を運ぶたびに、自問自答することが増えました。そして護国寺は「答え」を頂く聖域でもあります。
どうして、人間は、また私は生まれてきたのか。そして何のために私は生きているのだろう。2500年も前に、お釈迦さまが見通した人間の「苦諦」。人が生きることは苦しみである。私の短い人生に「不条理」が満ち満ちている。この問題は、科学技術万能、市場経済原理が高度になっても解決できない永遠の謎として人間にまとわりついている呪縛なのです。
お釈迦さまは、こうした人間の「不条理」の苦しみに対してサンガという、自殺寸前まで追い込まれた人間を救うための、組織体を作り人助けをしました。サンガとは三宝すなわち佛・法・僧の僧伽です。お釈迦さまは、佛・法を説き、苦しみ生きる、人間を助けてきましたが、自殺の極限に切羽詰まった人間を救うべく、助け合う組織である僧伽を作ったのです。この意味ではお釈迦さまは仏の教えを説くだけでなく立派な組織設計者でもあったと思います。そして、組織に加わる人たちが秩序の取れた修行が出来るよう、厳格な規則「律」を編み出しもしました。組織設計と編成、そして厳密な組織を維持する規則、「律」を編纂しました。そして、人に生きる喜びを与えてきました。残念ながら日本には、特に現代日本には、このサンガに類する組織を持つところが特に神社・寺院にありません。苦しみに打ちひしがれた人はどこに救いを求めればいいのでしょうか。 無いものねだりをしていても、埒が明かない。このため、私は、護国寺参拝に私の人生にまつわる、「苦諦」の解決の、手立てを求めて参拝を続けているのです。そして、仏道は修行に尽きる。日々が修行であると、思います。私にとって護国寺は、遠洋漁業に出漁した漁船が船体をぼろぼろにして帰港して、錨を下ろし碇泊する港に譬えられます。 また、毎日の御詠歌にも力ずけられています。
「吾等覚(さとり)りの行者(ひと)として
朝な夕なのかたときも
仏の教え身につけて
たつきの日々にいそしまん (密厳流。同行和讃) 」
ところで、私は、健康維持を兼ねて、毎日?散歩を日課としていますが、散歩コースを、その昔、高原講元様が、提唱されていた、「マイ巡礼」を行えるよう散歩コースを作っています。「マイ巡礼」コースには、十二神社・お地蔵さん――御霊神社――お地蔵さん――浄泉寺――お地蔵さんと連なるルートを作り、距離7キロ、歩行時間1,5時間です。ここで、感じたのは、神社・寺院・お地蔵さんの祠が、結構多く散在していることです。昔はそれほどに信心深い集落が存在していたのだと思います。神社は無住で日ごろは誰もいませんが、新年・七五三・季節のお祭りは賑やかに行われます。時代は変わっても社寺を守り、神仏を崇めお祀りする精神と習慣は廃れて根絶することはありません。まだまだ、根強い信心が息ずいていることです。心強く感じます。
日本の暦でも、祝祭日は、そのほとんどが神仏に関係することが多いことですし、お彼岸・お盆・七夕灯篭流し・ご先祖のお参りなど、習俗としての行事が盛んにおこなわれるのは、日本の将来も、まだ捨てたものではないことだと思いました。」