以下密教大辞典等に依る。
没年:徳治三年八月二十三日(1308)五十一歳。
鎌倉後期の真言僧。近衛良教の子で醍醐寺報恩院の覚雅に師事して出家。醍醐寺報恩院四世として報恩院流の全盛を築く。後宇多帝の幼少時に侍僧として仕えたことから, 後宇多法皇の帰依を受ける。徳治三年二月憲淳疾篤きに及ぶや法皇は勅書を下して法流伝授を求め給ふ。仍って憲淳は徳治三年三月二十五日請文を奉て受法心得を進言せしかば、同四月三日法皇重ねて勅書を賜ひて戒行護持紹隆密教の叡慮を宣べさせ給ふ。此に於いて四月十四日萬里小路殿を荘厳して道場となし、法皇に傳法灌頂を授け奉る。四月二十九日法皇は附法の状状は一事たりとも違背することなく當流紹隆の為に厳守べき旨を仰せ下さる。・・徳治三年八月二十三日寂す。壽五十一。