福聚講護国寺定例参拝記録 2019-10-19
福聚講(高原耕曻講元)は、 10月19日(土)、東京・文京の大本山・護国寺に定例参拝を行いました。この日は、先に大荒れした台風19号の影響を受け、雨雲が低く垂れ込んでいましたが幸い雨にはなりませんでした。それにしても此のところの列島事情は、この国の将来を暗示させるような「天災」「人災」の諸現象が次々に発生して暗澹たる空気が漂っているようです。メヂィア特にテレビは死者・行方不明等の犠牲者を出す台風の猛威を連日報道するようになりました。河川の堤防が決壊し静かだった住宅街に、泥水が氾濫する映像が映し出されると胸がしめつけられます。
ノーベル賞を受賞した吉田さんの喜び、W杯・ラグビーの日本チームの善戦もという明るい話題もありますが、反対に、関西幹部(原子力発電事業の関係者)の贈収賄事件、また学校教員の同僚に対するいじめ事件のニュースに至っては暗澹たる気持ちにさせられます。日本はこのままでいいのでしょうか。
この様な思いを抱き、其のうえ参拝する自分の打ちひしがされそうな懊悩や苦しみをも抱えて参拝に向います。こうした状況を、何一つ解決できないことが、情けない思いで一杯です。ご本尊・如意輪観音様に、ひたすら救いを求めざるを得ません。「念彼観音力」 「念彼観音力」、どうか此の苦しんでいる私を助けてください。 私に難問を解決する力を与えてください、と心底から訴えることしかできません。
台風により裏山の地滑りで自宅が土砂に押しつぶされ、そのうえ近所の川の堤防決壊で泥水が流れ込み、老齢の肉親を失った中年男性の苦吟の言葉が胸を突きます。「これからどうしたらいいかわからねー。もう、何にもねーよ。畑のリンゴは丁度収穫期だが、やられてしまった。何にもねー。ただ、やれることは、祈ること、祈ることだけしかねー」。体全体から絞り出すように声を出していました。
私も、同感です。私の心の中を実感して代弁しているような話方でした。「いまは祈ることしかできねー」。です。その祈りがどこの誰にどう届くだろうか。そんな悠長なこと言っているところではない。ただ「念彼観音力」と祈るのみです。
この日の護国寺は参詣する人も数組ありました。やはり参詣者がいることは心強い思いがします。本堂にむかって左側、大黒様が居られる右側にあたる内壁に、背を持たせ、座禅を組んでいる中年男女がいました。陽が当たらないので、暗く、仏像と見間違えました。それほど静かに深い瞑想に耽っているようでした。
この日の勤行は、般若心経・観音経・御詠歌「同行和讃」・諸真言を、本殿でお唱えしました。そのあと、薬師堂・大師堂・一言地蔵様でも御真言・御宝号をお唱えしました。
参考までに胸に浮かんだ讃美歌を書いておきます。
「讃美歌321
我が主イエスよ ひたすら
祈り求む 愛をば
まさせ給え 主を愛する
愛をば 愛をば
世のやすきと 楽しみ
求めたりし 身なれど
今は願う 主を愛する
愛をば 愛をば
きたれきたれ 苦しみ
うきなやみも いとわじ
いさみうたわん 主を愛する
愛をば 愛おば
いまわの息 かすかに
のこるときも 愛おば
えさせたまえ 主を愛する
愛をば 愛をば 」
・以下はこの日お唱えした御詠歌です。
ご詠歌・同行御和讃
「吾等覚りの行者(ひと)として 朝な夕なのかたときも
仏の教え身につけて たつきの日々にいそしまん
吾等大師の弟子として 同じ覚りに行き歩む
法のはらから手を取りて 道の友垣拡めなん
吾等仏のみ子として 至心に唱うる真言の
功徳遍く世に照りて 平和の浄土いたらなん」
福聚講(高原耕曻講元)は、 10月19日(土)、東京・文京の大本山・護国寺に定例参拝を行いました。この日は、先に大荒れした台風19号の影響を受け、雨雲が低く垂れ込んでいましたが幸い雨にはなりませんでした。それにしても此のところの列島事情は、この国の将来を暗示させるような「天災」「人災」の諸現象が次々に発生して暗澹たる空気が漂っているようです。メヂィア特にテレビは死者・行方不明等の犠牲者を出す台風の猛威を連日報道するようになりました。河川の堤防が決壊し静かだった住宅街に、泥水が氾濫する映像が映し出されると胸がしめつけられます。
ノーベル賞を受賞した吉田さんの喜び、W杯・ラグビーの日本チームの善戦もという明るい話題もありますが、反対に、関西幹部(原子力発電事業の関係者)の贈収賄事件、また学校教員の同僚に対するいじめ事件のニュースに至っては暗澹たる気持ちにさせられます。日本はこのままでいいのでしょうか。
この様な思いを抱き、其のうえ参拝する自分の打ちひしがされそうな懊悩や苦しみをも抱えて参拝に向います。こうした状況を、何一つ解決できないことが、情けない思いで一杯です。ご本尊・如意輪観音様に、ひたすら救いを求めざるを得ません。「念彼観音力」 「念彼観音力」、どうか此の苦しんでいる私を助けてください。 私に難問を解決する力を与えてください、と心底から訴えることしかできません。
台風により裏山の地滑りで自宅が土砂に押しつぶされ、そのうえ近所の川の堤防決壊で泥水が流れ込み、老齢の肉親を失った中年男性の苦吟の言葉が胸を突きます。「これからどうしたらいいかわからねー。もう、何にもねーよ。畑のリンゴは丁度収穫期だが、やられてしまった。何にもねー。ただ、やれることは、祈ること、祈ることだけしかねー」。体全体から絞り出すように声を出していました。
私も、同感です。私の心の中を実感して代弁しているような話方でした。「いまは祈ることしかできねー」。です。その祈りがどこの誰にどう届くだろうか。そんな悠長なこと言っているところではない。ただ「念彼観音力」と祈るのみです。
この日の護国寺は参詣する人も数組ありました。やはり参詣者がいることは心強い思いがします。本堂にむかって左側、大黒様が居られる右側にあたる内壁に、背を持たせ、座禅を組んでいる中年男女がいました。陽が当たらないので、暗く、仏像と見間違えました。それほど静かに深い瞑想に耽っているようでした。
この日の勤行は、般若心経・観音経・御詠歌「同行和讃」・諸真言を、本殿でお唱えしました。そのあと、薬師堂・大師堂・一言地蔵様でも御真言・御宝号をお唱えしました。
参考までに胸に浮かんだ讃美歌を書いておきます。
「讃美歌321
我が主イエスよ ひたすら
祈り求む 愛をば
まさせ給え 主を愛する
愛をば 愛をば
世のやすきと 楽しみ
求めたりし 身なれど
今は願う 主を愛する
愛をば 愛をば
きたれきたれ 苦しみ
うきなやみも いとわじ
いさみうたわん 主を愛する
愛をば 愛おば
いまわの息 かすかに
のこるときも 愛おば
えさせたまえ 主を愛する
愛をば 愛をば 」
・以下はこの日お唱えした御詠歌です。
ご詠歌・同行御和讃
「吾等覚りの行者(ひと)として 朝な夕なのかたときも
仏の教え身につけて たつきの日々にいそしまん
吾等大師の弟子として 同じ覚りに行き歩む
法のはらから手を取りて 道の友垣拡めなん
吾等仏のみ子として 至心に唱うる真言の
功徳遍く世に照りて 平和の浄土いたらなん」