第三章 さとりの心
第二節 かくれた宝
五、むかし、ある男が友人の家に行き、酒に酔って眠っているうちに、急用で友人は出かけた。その折、友人はその男の将来をきずかい、宝石を襟にぬいつけておいた、
自分の襟に宝石があるとは知らず、その男はそのご他国へさすらい、衣食に困窮した。
その後再び友人に再会したとき、友人は「おまえさんの襟に縫いこまれている宝石をつかえばいい」と教えられた。
この例えのごとく、仏性の宝石は貪りやいかりという煩悩の襟に包まれて、汚されずにいるのである。
このようにどんな人でも仏の智慧のそなわらないものはないから、仏は人々を見通して、「すばらしいことだ。人々はみな仏の智慧と功徳をそなえている」とほめたたえる。
しかも人々は愚かさに覆われてものごとをさかさまに見、おのれの仏性をみることができないから、仏は人々に教えてその妄想を離れさせ本来仏とちがわないものであることを知らせる。
第二節 かくれた宝
五、むかし、ある男が友人の家に行き、酒に酔って眠っているうちに、急用で友人は出かけた。その折、友人はその男の将来をきずかい、宝石を襟にぬいつけておいた、
自分の襟に宝石があるとは知らず、その男はそのご他国へさすらい、衣食に困窮した。
その後再び友人に再会したとき、友人は「おまえさんの襟に縫いこまれている宝石をつかえばいい」と教えられた。
この例えのごとく、仏性の宝石は貪りやいかりという煩悩の襟に包まれて、汚されずにいるのである。
このようにどんな人でも仏の智慧のそなわらないものはないから、仏は人々を見通して、「すばらしいことだ。人々はみな仏の智慧と功徳をそなえている」とほめたたえる。
しかも人々は愚かさに覆われてものごとをさかさまに見、おのれの仏性をみることができないから、仏は人々に教えてその妄想を離れさせ本来仏とちがわないものであることを知らせる。