第九に国土甚深なるが故にとは、教主已に大日如来也、国土何ぞ法界宮にあらざらんや。中偏方分を離れて無所不至の塔婆也。是の故に儀軌に、道場は五輪の所成也。其の曼荼羅も亦五輪也。五輪所成の土は先ず大空界を其の所居と為す故に豎
横遍際無くして法界を籠む。大空は因縁を離れるがゆえに次に因不可得の風輪有り。秘蔵記に云く、下方の虚空とは謂く心の虚空なり、是の虚空に法身有り。其の法身は因不可得なり、と(秘蔵記「卒塔婆は鑁の一字の所成なり。また阿卑羅吽釼の五字の所成なり。一一を取るに任せて自性清浄心とも真如とも仏性とも如来蔵とも法性とも観ずべし。下方の虚空とは謂く心の虚空なり、すなわち釼なり。是の虚空に法身有り。其の法身は因不可得なり、是れ欠なり。この法身は慈悲具足してよく衆生界を度脱したまふ。・・ )已に因不可得なれば塵垢なし。華の色、鳥の聲も能執、所執の相を離れて塵として得べきもの無し。故に次に火輪あり。塵相を離るが故に法法皆言語の所行に非ず。是の故に水輪あり。言語の所行は破すべく転ずべし。言語を離るが故に法法常に不生不滅金剛常住なり。是を地輪と為す。此の地輪の上に建立する寶楼宮なるが故に内院は一大神之を化作して、五大神種々に厳飾す。一大神とは疏に釈して無漏智なりと。五大神とは釈して戒・定・慧・解脱・解脱知見なりと。無漏智とは阿字大空智なり。五分法身とは五字也。胎蔵曼荼羅その根本を云はば但だ是阿字本不生の一句なり。之を開けば五字五輪の塔婆也。五字を開けば十界の依正(依報・正報. 自分自身の過去の業の報いとして得られた有情の身心を正報といい、有情の生存のよりどころとなる山川草木などの外的な環境を依報。 )、森羅の万法也。果より因に向ひ、因より果に至る等の曼荼羅の能起の次第、皆以て此の如し。弥勒は胎の大日なるが故に其の国土皆胎の曼荼羅也。大日経疏第八に云く、兜率陀天宮の蔵と右の此の蔵の字は中心の蔵なり。中胎蔵の蔵也と(大毘盧遮那成佛經疏卷第八入漫荼羅具縁品第二之餘 「右此藏字。梵音云蘗喇婆。是中心之藏中胎藏之藏。與比吒迦倶舍等。其義各殊也。 藏之藏。」)。此の文の意は兜率即ち胎蔵也。根本は阿字大空智なるが故に先ず一大神あり。五字を以て荘厳するは此れは是虚空等の心なるがゆえに、五大神ありて国界を厳飾す。寶樹寶渠等の種々の荘厳は大悲胎蔵無尽の荘厳也。大日経の疏、大楼閣寶王の釈に云く。然るに此の第一寂滅の相は如来の加持神力を以て、當に度すべき者をして諸の法門の表像に随って、若し見聞触知すべきには、此れを以て門と為し法界に入らしむ。善財童子の弥勒の宮殿に入りし因縁の如し、と。(大毘盧遮那成佛經疏卷第一 入眞言門住心品第一 「何以故。更無有法出如是寶性故。然此第一寂滅之相。以如來加持神力。令應度者隨諸法門表像。若可見聞觸知。即以此爲門而入法界。如善財童子。入彌勒宮殿因縁。此中應廣明菩薩之身爲師子座者。上説金剛法界宮。即是如來身。)。大日経の大楼閣寶王は即ち是弥勒の楼閣なるが故に。例同也。即ち是弥勒の楼閣也。華厳経入法界品に云く、爾の時に善財童子、弥勒菩薩を敬遶し、合掌して佛に曰って言く、唯願くは大聖楼門を開いて我をしてその中に入ることを得せしめたまへ。其の時に弥勒菩薩即ち右の指を弾す。門自然に開く。善財入る。入り已れば還って閉ず。その時に善財楼観を観察するに広大無量なること猶し虚空の如し。衆寶を地と為す。阿僧祇の窓牖却敵欄楯あり。七寶を以て合成す。阿僧祇の幡幢蓋莊嚴。阿僧祇の寶瓔珞垂帶。阿僧祇の大師子幢半月寶像の諸寶繒綵。又阿僧祇の天冠寶衣あり。而も以って莊嚴す。阿僧祇の寶網羅を以て其の上を覆ふ。阿僧祇の金鈴、自然に微妙音聲を演出す。又無量の寶華鬘雲・諸の妙香雲を雨ふらし、阿僧祇の細末金屑を雨ふらし、阿僧祇の勝妙の光明を放ちて、普く一切を照す。阿僧祇の異類衆鳥有りて、和雅の音を出す。爾時、善財、諸の楼観の中を見るに高広にして厳飾勝妙なり。三千大千世界百億の閻浮提百億の兜率天を包容す。又、弥勒諸仏を讃嘆し恭敬供養し、或いは医王と為りて衆病を療治し正路を失ふものに正道を以て示し、或いは大船師と為って至寶の洲に導き、或いは馬王と為りて衆生を荷負しめ、鬼難を離れしめ、或いは論師と為りて諸の経論を造り、転輪王と為りて十善を以て世を化するを見、或いは轉輪王と為りて十善を以て世を化するを見る。或は父母に孝順し、善知識に近き、其の教に違せず。或は聲聞縁覺菩薩如來の形色を現して衆生を教化したまふを見る(入法界品第三十四之十七)。善財白して言さく、大聖、此の奇特妙莊嚴の法は何の所よりか來るや。答言。菩薩神力之出生する所にして而亦た神力之中に在らず。不來不去にして積聚の處無し、と。(入法界品第三十四之十七)。此の楼観は是兜率の内院也。此の経説を見るに楼観種々の荘厳は其の源を尋るに無来無去不生不滅也。是阿字大空也。楼観は是五字の塔婆也。この中に於いて弥勒十界の普現色身を見る。是大悲胎蔵の曼荼羅也。上に成ずる所の如し。
問、法界に籠りて兜率の内院と為すは何ぞ強て第四天を指すや。
答、儀軌に云く、一世界を観じて一曼荼羅会と為し、弥廬山頂より有頂に至り、下も金剛輪際に及ぶまで、一の道場宮と為し、知足宮を中心と為せよと。
一世界の中心なるが故に且く第四天を指す乎。須弥廬の頂上は法界道場にして皆表相有り。故に一所を指すと雖も実は法界に遍ず也。我等久しく兜率の内院に往来すれども無明覆ふが故に覚せず知せず。今これ等の教説に遇ふて此の甚深の義を聞く。當處を動ぜずして即ち是所詣也。