1、『中山寺来由記』『谷汲山根元由来記』などで西国三十三所の起源に寄せて巡礼の功徳が説かれています。
養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、一度病没しますがその時閻魔大王が「生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多い。三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように」と託宣されるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されたとされます。つまりここでは巡礼の功徳は罪障消滅後世安楽ということになります。
2、しかし、より積極的に「子孫繁栄」の霊験の例もあります。
太平記巻五「時政参籠榎嶋事」では北条政子の父、鎌倉幕府の初代執権の北条時政は子孫繁栄を祈願して江の島に参籠したとき、江ノ島の弁財天から時政の前生の巡礼回国の善行により、北条一族は大いに栄えるであろう、しかしその行いによっては七代を過ぎることはないゆえ心せよ、とお告げを頂いたということです。
( 太平記巻五「時政参籠榎嶋事」・・昔鎌倉草創ノ始、北条四郎時政榎嶋ニ参籠シテ、子孫ノ繁昌ヲ祈ケリ。三七日ニ當リケル夜、赤キ袴ニ柳裏ノ衣着タル女房ノ、端厳美麗ナルガ、忽然トシテ時政ガ前ニ来テ告テ曰、「汝ガ前世ハ箱根法師也。六十六部ノ法華経ヲ書写シテ、六十六箇國ノ霊地ニ奉納シタリシ善根ニ依テ、再ビ此土ニ生ル事ヲ得タリ。去レバ子孫永ク日本ノ主ト成テ、栄華ニ誇ル可。但其挙動違所アラバ、七代ヲ過グ不可。吾言所不審アラバ、國々ニ納シ所ノ霊地ヲ見ヨ。」ト云捨テ帰給フ。其姿ヲミケレバ、サシモ厳カリツル女房、忽ニ伏長二十丈許ノ大蛇ト成テ、海中二人ニケリ。其迩ヲ見二、大ナル鱗ヲ三ッ落セリ。時政所願成就シヌト喜テ、則彼鱗ヲ取テ、旗ノ文ニゾ押タリケル。今ノ三鱗形ノ文是也。其後辨才天ノ御示現二任テ、國々ノ霊地へ人ヲ遣シテ、法華経奉納ノ所ヲ見セケルニ、俗名ノ時政ヲ法師ノ名二替テ、奉納筒ノ上二大法師時政ト書タルコソ不思議ナレ。サレバ今相摸入道七代二過テ一天下ヲ保ケルモ、江嶋ノ辨才天ノ御利生、又ハ過去ノ善因二感ジテゲル故也。
今ノ高時禅門、已二七代ヲ過、九代二及ベリ。サレバ可亡時刻到來シテ、斯ル不思議ノ振舞ヲモセラレケルカトゾ覚ケル。)