5月6日は鑑真和上の命日です。和上(・・・ - 天平宝字7年5月6日(763年6月25日))は、唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。
天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、失明されましたが、天平勝宝5年(753)65歳の時、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。以後、76歳で入滅されるまでの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。
「法務贈大僧正唐鑑眞過海大師東征傳(淡海三船)」に「・・大和尚(鑑真)答て曰く、昔し聞く南岳の思禅師(中国天台宗第二祖南岳慧思) 、遷化の後、生を倭国の王子(聖徳太子)
に託して、仏法を興隆し、衆生を済度すと。又聞く、日本国の長屋王 、仏法を崇敬して、千の袈裟を造て、此の国の大徳・衆僧に棄施す。其の袈裟の縁の上に四句を繍著して曰く、『山川異域、風月同天、諸の仏子(唐の大徳・集僧)に寄せて、共に来縁を結す』(山川異域 風月同天 寄諸佛子 共結來縁)と。此を以て思量するに、誠に是れ仏法興隆有縁の国なり。・・」とあります。
鑑真和上は「四分律」を伝えましたが、これは十誦律、五分律、摩訶僧祇律と共に「四大広律」と呼ばれ、中国および日本に伝来した諸律の中では、最も影響力を持ったものであり、中国・日本で律宗の名で総称される律研究の宗派は、ほとんどがこの四分律に依拠している、とされます。
なお大師は鑑真の弟子如法と交流があり、「大徳如法のために招提寺の封戸を恩賜するを奉謝する表」を代筆されています。
井上靖は「天平の甍」を書いています。芭蕉は「若葉して、おんめのしずくぬぐはばや」と詠みました。
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