今日は阿蘓大神から兵疫起こるべしとの託宣を受け般若心経三萬巻を転読した日
三代実録(貞観八年866二月)
「十四日庚申、神祇官奏して言さく『肥後阿蘓大神 怒気を懐蔵す。是に由りて疫癘発し、隣境の兵を憂ふべし』と。勅す『國司は潔斎し至誠奉幣幷に金剛般若経千巻般若心経萬巻を転読せよ。城山四王院(注1)に於いて金剛般若経三千巻般若心経三萬巻を転読し、以て神心に奉謝し兵疫(注2)を消伏せよ。』」
天皇は清和天皇。
(注1)ウキぺデアによると以下のようにあります。「白村江の戦いの翌年である天智天皇3年(664年)に大城山の山頂に古代山城である大野城が設置された。『万葉集』巻8にも大伴坂上郎女の歌として筑紫の大城の山について詠んだ歌が採録されている。その後、大野城の役目は低下していったが、宝亀5年(774年)に大野城があった場所に四天王を奉納して外敵撃退を祈願して寺が建立された。この寺院は四王寺と称され、平安時代のものとされる経塚が発掘されている。後にそれにちなんで大城山を中心とした4つの山を「四王寺山」と称するようになった。麓には坂本坊と呼ばれる座主の寺院善正寺があった。坂本八幡宮にその名残が残っている。」
(注2)実際、貞観十一年(869年)六月十五日には「貞観の韓寇」がおこっていますが撃退しています。