地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の6/13
六、法花讀誦の僧功験を得る事
丹後の國串の戸の傍に住みける法師法華経讀誦の願を発し一寸の光陰も惜むほどに天晴使ひよからん小僧もがな一人あれかしと願けるほどにいつ゛くともなく小法師一人来りにや、つ゛かへけり。彼の僧六年の後誦經に怠りけるほどに小僧向て云く、聖は少しひまもあき玉へり、暇申して退りなと速かに出去りぬ。僧は袂をひかへて止めければ手にもたまらずかきけすやうにうせにけり。その夜の夢に地蔵菩薩立向玉ひて、我法華経を貴む。故に汝につかいす。假令われ使をなさずとも真に彼の經を讀誦せば天諸童子以為に給仕せん。今汝經を閣(さしおく)により我も亦去ぬ、と示し玉ふ。されば大唐の和尚の夢中に地蔵の立ち向て汝法華経を受持し奉る。吾昔霊山の法華一會の砌三萬六千の菩薩と共に付属を受け持、それよりこのかた此の經流布せんと誓き。若し衆生あって見聞覚知の者、五十展轉の功徳(妙法蓮華經隨喜功徳品第十八「聞法華經一偈隨喜功徳。百分千分百千萬億分不及其一。乃至算數譬喩所不能知。阿逸多。如是第五十人展轉聞法華經隨喜功徳。尚無量無邊阿僧祇。何況最初於會中聞而隨喜者。其福復勝無量無邊阿僧祇。不可得比。」)
等の説相こまやかに斉く成佛をす。但し心に清濁遅速あるべし、との玉ひける。されば彼の道者の為に法華補闕し真言は説玉ふとこそ承はる。ありがたくこそ。