福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

両部神道論・・その13(神仏習合年表4)

2014-02-16 | お大師様のお言葉

782、勝道、日光二荒山頂上に三社権現を祀る。勝道上人は、天応2年(782年)10月、ついに男体山の頂を極め念願を果たした。この時、上人は山頂で男体山の神・大己貴命(おおなむちのみこと。大国主命)と、その妻子である女峰山の神・田心姫神命(たごりひめのかみのみこと)と太郎山の神・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)に会い、二荒山神社、山頂の奥宮、中禅寺湖畔の中宮祠を建てた。そして 勝道上人は、大谷川のほとりに大己貴命の本地仏である千手観音、その妻子の本地仏である阿弥陀如来、馬頭観音を祭る四本龍寺を築き、中禅寺の湖畔に神宮寺(中禅寺)を創建し、弘仁元年(810年)には四本龍寺(現在の輪王寺)に「満願寺」の勅号が与えられた。

834、寺々で疫病退治のため天神地祇の為に読経せしむ。(『続日本後紀』承和元年4月丙午(26日)条(834)「疫癘頻発。疾苦稍多。仍ち京城諸寺に命じて。天神地祇の為に大般若経一部、金剛般若経十万巻を転読せしむ。以って気を攘災する也。」)

839、賀茂神社のために読経せしむ。(『続日本後紀』承和6年5月辛卯(11日)条(839)「自寄り始めて三箇日を限り、賀茂大神の為に、金剛般若経一千巻を転読すべし。」

849、多度神宮寺が東寺別院となる。(『続日本後紀』嘉祥2年正月辛巳(26日)条(849)「伝灯大法師位寿寵言。伊勢国多度大神宮法雲寺をもって真言別院となす。即ち国家を護るためなり。兼て大神を飾奉る請により之を許す。」
876、祇園神社に社僧を置く。祇園社略記に「帝京の東に祇園社有、古より牛頭天王の祠と称す。其の本をたずねるに、則ち素戔嗚尊を祭奠すといふ、初め播州明石の浦に牛頭の祠あり、居諸相経て州西の廣峰山に移す、清和帝の朝に再び山城の北、白川の東光寺に奉じ、幾徒ざるに今の祇園の地に従す、時に常住寺の園如を擢てその社務職とす、実に貞観十八年(876)なり、・・・」とある。
888、赤山明神を比叡山麓に祀る。円仁が入唐中冥加を得た中国山東省の赤山の神、泰山府君を勧請し、888年円仁の遺命により、高弟の安慧が鎮護国家の道場として創建。
894、醍醐派祖聖寶、金剛蔵王権現を金峯山に祀る。『聖宝僧正伝』によれば、聖宝は寛平6年(894年)、荒廃していた金峯山を再興し、参詣路を整備し、堂を建立して如意輪観音、多聞天、金剛蔵王菩薩を安置したという。金剛蔵王権現の本地仏、釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権現されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現された。
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