福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日三月十五日は大師が即身成仏のお姿を示現された日です

2024-03-15 | 頂いた現実の霊験

今日、弘仁四年三月十五日は大師が清涼殿に於いて即身成仏を示された日です
孔雀経音義には『帰唐之時。欲興眞言宗之間。諸宗皆併集朝庭。共疑即身成佛義。仍大師結智拳印。向於南方。面門俄開。成金色毘盧舍那。放眉間白豪相光。爰一人諸臣。七宗衆徒。驚下於地。皆悉禮拜。』とあります。
・「弘法大師伝」には「清涼殿即身成仏の事、・・弘仁四年三月十五日、・・陛下は仏法帰依の志の篤いかたでありましたから仏法についてお尋ねがあり、かく大徳達は夫々宗旨の肝要を申し上げ、法相宗は唯識中道を、三論宗は八不生観を、天台宗は一念三千の極を尽くし、華厳宗は十玄六相の妙を断じ、我が大師の即身成仏を批判されました。。その後大師は大日経、金剛頂經、菩提心論等の諸経を証拠として即事而真で佛とい衆生とは本来別ではない。煩悩と菩提は同一で、肉体と精神は不二なものであるから身口意の三密行で即身成仏できるのは当然と主張されました。・・天皇は御簾のなかより証拠がみてみたいと仰せになられました。大師は南面して結跏趺坐し印を結び、真言を唱え三摩地の観に住せられますと直ちに五智の宝冠現れ金色の光赫奕として大日如来のお姿となられました。百官諸司は地に伏し、陛下は玉座をおりて「南無遍照金剛」と拝せられました。・・」とあり
・弘法大師御伝記(蓮尾善隆著)には「・・それは弘仁四年三月十五日のことであります。嵯峨天皇は南北の碩徳を清涼殿に召し、顕密の法門を論議せしめられることになりました。・・(衆僧は一斉に大師の即身成仏の教えを非議しました)大師は二教一論八箇の証文(注)、六大四曼三密の幽理を詳論して完膚なきまでに説破せられました。律宗の一僧は即身成仏の人証を尋ね、嵯峨天皇は「即身成仏の光景を見たい」とご勅問がありました。大師は静かに大日の智拳印を結び、三摩地の観念に入り口に密語をお唱えになり・・面門みるみるうちに開けて金色の大日如来と成り、頭に五佛の宝冠を現じ、座下に微妙の蓮華の華を生じ、目前に即身成仏の光景を拝し天皇は玉座を下りて頂礼し公卿百官は座を退いて礼拝され南北諸宗の学匠は地にひざまずいて稽首されました。・・」
(注、二教とは大日経・金剛頂経、一論とは発菩提心論、八箇の証文とは以下、
●『金剛頂経』(『金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』)に説かく、「この三昧(一字頂輪王(「ボロン」の一字真言で表される金輪王(大日)の三摩地法)を修するものは現に仏菩提を証す」と。

●またいわく、「もし衆生あってこの教に遇い、昼夜四時に精進して修すれば、現世に歓喜地を証得し、後の十六生(金剛界の十六大菩薩が出生する段階)に正覚を成ず」と。

●またいわく、「もしよくこの勝義によって修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」と。

●またいわく、「まさに知るべし、自身すなわち金剛界となる。自身金剛となりぬれば堅実にして傾壊なし、われ金剛身となる」と。

●『大日経』にいわく、「この身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して、しかも身秘密を成ず」と。

●またいわく、「この生において悉地に入らんとおもはば、その所応にしたがいこれを思念せよ。まのあたり尊の所において明法を受け観察し相応すれば成就を作す」と。

●また龍猛菩薩の『菩提心論』に説かく、「真言法のなかにのみ即身成仏するが故に、是れ三摩地の法を説く。諸教のなかにおいて闕して書せず」と。是れ三摩地(の法)を説くとは、法身自証の三摩地なり。諸教とは他受用身所説の顕教なり。

●またいわく、「もし人仏慧を求めて菩提心に通達すれば、父母所生の身に速に大覚の位を証す」と

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