昔NHK心の時間で、正眼僧堂の山川宗玄老師の法話がありました。中で百丈懐海禅師の「一日作さざれば一日食はず」の禅語についてお話がありました。以下のようなものだったと思います。
・・・和歌山興国寺目黒絶海老師が老衰で入院され施す治療もなくなっていた時、弟子の山川老師が見舞いに行かれたとき、回診に来た院長に「なにか治療するすべがあるのですか?」と聞くと院長は「ありません」と答える。「ではなぜ治療に来られるのですか」と聞くと院長は「治療に来ているのではありません。お参りに来ているのです。」と答えたといいます。山川老師は「これは目黒老師が生き仏として拝まれていたということの外に、もっと深い意味がある。誰しも生きているというだけで仏様の仕事をしているということではないか。院長はそれを拝みに来ているといったのではないか?『一日作さざれば一日食はず』の背後には深い意味があることを汲み取るべき。」と説法されました。
思い出すと当方の父も老衰で入院して治療するすべもなく亡くなりましたが、この主治医も巡回の都度「おじゅっさん(ご住職)を拝ませていただいています」といっていました。当時を思い出して泣けてきました。
人は生きているだけで大変崇高な存在であるということなのでしょう。超高齢化時代を迎え経典にはこれと反対の言葉もありますが、やはり山川老師のような修行を積んだ方のおっしゃる方を取ります。
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