今昔物語巻十二「沙弥所持法花経不焼給語 第廿九」
「今昔、聖武天皇の御代に、牟婁の沙弥と云ふ者有けり。俗姓は榎本の氏、本より名無し。紀伊の国牟婁の郡の人也。此れに依て牟婁の沙弥とは云ふなるべし。而るに、同国の安諦の郡の荒田の村に居住す。此の沙弥、髪を剃り袈裟を着たりと云へども、翔(ふるま)ひ俗の如し。朝暮に家の業を営みて、昼夜に妻子眷属を養ふ計を巧む。
而る間、沙弥、願を発して、法の如く清浄にして、自ら法華経一部を書写し奉る。故に此の経を書写し奉る所を儲て、身を清めて入て、此れを書く。大小便の時毎に沐浴して、更に身を清めてぞ入て其の経を書く座に居ける。
此如くして書く間、六月を経て写し畢ぬ。法の如く供養し奉て後、漆を塗れる筥を造て、其の中に居れ奉て、外所に安置せずして、住屋の内に清き所を儲て置き奉れり。其の後は、時々此れを取出し奉て、読み奉けり。
而る間、神護景雲三年767と云ふ年の五月廿三日の午時(真昼)許に、其の家、忽に火出来て、家皆焼ぬ。家の内の物、皆焼ぬれば、此の経の筥をも取出奉らずして、「其れも焼給ひぬ」と思ふ間に、火既に消畢て後見れば、熱き火の中に、此の法華経を入れ奉れる筥、焼けずして有り。「奇異也」と思て、怱(いそ)ぎ寄て、経筥を取て見るに、少も焼け損ぜる所無し。沙弥、此れを見て、泣き悲みて、筥を開て見るに、経、亦本の如くして、筥の中に在ます。沙弥、弥よ心を発して貴ぶ事限無し。世の人、此れを聞て、競ひ来て、此の経を礼むで、貴て信を発す人多かり。
実に此れを思ふに、心を至して写し奉れる経なれば、殊に霊験を施し給ふ事、既に此如し。然れば、『人有て、仏を造り経を書くと云へども、専に心を発すべき也』となむ語り伝へたるとや。」
此れと同じ話は「日本霊異記」にもありここでは最後に「賛に曰く、『貴きかな、榎の氏、深信功を積み、一乗の経を写す。護法神衛りて、火に霊験を慧呈す。是不信の人の心を改むる能談なり。邪見の人の悪を輟やむる頴師なり』と」としています。この話は当時人口に膾炙していたのでしょう。