今日、弘仁3年7月29日は大師が嵯峨天皇に「雑文を献ずる表」を出された日です。
「急就章一巻 王昌齢が集一巻 雑詩集四巻 朱畫の詩一巻 朱千乗が詩一巻 雑文一巻王智章が詩一巻 讃一巻 詔勅一巻 訳経図記一巻
右伏して昨日の進止を承って探り得るに随ってかつ奉進す。遺るところの表啓等は零ちて他所にあり。今見に人をしてもとめしむ。取り来たらばすなわち馳せ奉ぜん。
それ尺水に本万里の鯤なし(水たまりには巨大な鯤はいない)。培塿(ほうろう、蟻塚)にはなんぞ千丈の幹あらんや。空海瓦礫の人なり。謬って燕石を縅(つつ)めり(つまらないものである)。謂はざりき。聖聡金声をすうじょうに求め(天皇陛下が木こりや草刈り男に文章を求め)、華藤を朽しに訪はんとは(樺や藤の花を朽ちた枝にもとめるようなもの)。聖綸の下り徹るを喜ぶといえども、還って亭箒(こうさつ、古い箒)の愆過(けんか、あやまち)を慙ず。謹んで状に随って奉進す。軽々しく聖覧を黷(けが)す。ふして深く戦越す。謹んで進まつる。
弘仁三年七月二十九日 沙門空海進つる」