地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の3/17
三、唐の法聚寺地蔵の像の事
唐の益州(四川盆地と漢中盆地)の郭下の法聚寺の地蔵菩薩を畫く。却って縄床に坐せしめて脚を垂る。高さ八九寸、本像は張僧繇(ちょう そうよう / は、南朝梁の武帝のころの宗教画の様式で知られた画家)が畫なり。麟徳二年(唐の高宗李治の時代。665年)七月にいたりて當寺の僧一本を圖し得て光を放ちて乍(たちまち)出没すこと金環の如く大に本光に同じ。如是に展轉して圖し寫し出す者の類なり。みな光を放つ。當年の八月に勅して一本を追って宮に入れ供養す。現に今京城内外の俗の畫ける者供養すれば並びにみな光を放つ。信に知るべし、佛力は測るべからず。
(法苑珠林卷第十四・西明寺沙門釋道世撰 敬佛篇第六之二「唐益州郭下法聚寺畫地藏菩薩。却坐繩床垂脚。高八九寸。本像是張僧繇畫。至麟徳二年七月。當寺僧圖得一本。放光乍出乍沒。如似金環。大同本光。如是展轉圖寫出者類皆放光。當年八月勅追一本入宮供養。現今京城内外道俗畫者供養。並皆放光。信知佛力不可測量」)。