「我が為をなすは我が身の為ならず、人の為こそ我が為とはなれ」ということわざがあります。これこそ俗世の真理です。自分もこの言葉がもっと早く身についていれば余計な苦労をしなくて済んだかもしれません。
1、仕事でも自分が助かる方法は人を助けること。
出世している人は自分の功績を独り占めしていません。必ず周囲の人のお陰で成功したといいます。ノーベル賞受賞者も必ず周囲の人のお陰といっています。IPS細胞の山中教授も必ず周囲の助けで成果を上げることができたと実名を挙げて感謝しておられます。アスリートでもトップになった人で自分一人の力だ、という人は絶無です。
しかしほとんどの人はこの逆をしてしまい、結果として日々悶々とした生活を送らざるを得なくなっています。例えば仕事でたまたまうまくいくと前任者が駄目だったのを自分が立て直したと吹聴したり、仕事ができない人がいて全部自分にしわ寄せがきているのに上司が分かってくれないと愚痴を言ったりとか、こうして自分のことばかりを強調するので周囲・上司に反感を持たれ折角の功績が台無しになるとともに更に苦労の多い職場に配置されたりするのです。まさに負のスパイラルです。
私自身も俗世の時はこのような失敗の連続でした。まさに周囲から見れば反感を買うようなことばかり言っていました。心がけが悪く、結果として本当に余計な苦労をしたと今でも思います。
2、成功した経営者は「利他心」を持っていた。
経済界でも利他心がなければ成功しません。近江商人(大丸、高島屋、白木屋、西川産業、伊藤忠、ワーコール等を輩出)は「売り手良し・買い手良し・世間良し」の「三方良し」で成功したことは有名です。
三井、三菱、住友等の財閥創始者も信仰心に基ずく利他行を行っていたことは有名です。
3、御大師様も利他行の大切さをいたるところで説いておられます。
・「それ釈教は浩汗(こうかん)にして際(きは)なく、涯(はて)なし。一言にしてこれを弊(つく)せば、ただ二利にあり。常楽の果を期するは自利なり。苦空の因を済(すく)ふは利他なり。空しく常楽を願うも得ず。徒(いたずら)に抜苦を計れどもまた難し。必ずまさに福智兼ねて修し、定慧並べ行じて、いましよく他の苦を救い、自の楽を取るべし。(弘法大師「御請来目録」)」(お釈迦様の教えは果てし無く広いが、一言にして之を言えば「自利・利他」である。悟って常楽の境地に遊ぶことを求めるのは自利であり、衆生の苦を救ってやるのは「利他」である。常楽だけを願っても得られず、衆生済度のみを願っても難しい。必ず利他という徳を積む福行と,自己の悟りを完成するための智行を共に修行し、また禅定行と智慧行を共に修行してはじめて自利利他行が全うできる。)(弘法大師「御請来目録」)
・「もし善男善女ありて生死の苦根を断じ、菩提の妙果に至らんと欲せば、まず福智の因を積んで、しかるのちに無上の果を感致せよ。福智の因といふは妙経を書写し、深義を講思するは、すなわちこれ智慧の因なり。檀等の諸行はすなわちこれ福徳の因なり。よくこの二善を修し四恩を抜済し、衆生を利益するときは自利利他の功徳を具し、すみやかに一切智智の大覚を証す。これを菩提といい、これを仏陀と称し、または真実報恩者お名つ゛く。(大師、「理趣経開題」)(布施と写経により自利利他行をすれば生死の難より逃れ得る)。
4、問題は利他行の大切さは分かっていながらそれを実行できる機会を捕まえられないことです。これには勇気を出すしかありません。電車の中で席を譲ることだけでも勇気がいりますがこれも慣れれば自然にできるようになります。道のゴミ拾いも最初に勇気を出して思い切って拾いさえすればあとは何度も自然にできるようになります。ボランテアも思い切ってやれば後々まで後悔しないで済みます。各種の寄付も決して寄付したからと言ってその結果貧乏になることはありません。「少善も積み重ねればいずれ大変な功徳を齎す」と法句経にあります。(法句經第十七惡行品二十二章「小善を軽んずること莫れ、 以って無福なりといえども水が微なりといえども漸く大器を盈すがごとく 凡そ福は充滿す・・」)
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