・今日は観賢僧正が大師諡号を奏請された日です。「高野大師御廣傳」には「・・至醍醐天皇御宇時、延喜十八年十月十六日。権大僧都法眼和尚位観賢。請賜諡号大師位・・」とでてきます。(高野山春秋にはこれが延喜二十一年十月五日と書いてあり重複しているのかどうかは不明です)
この前には延喜十八年八月十一日付の寛平法皇の御奏がありこの後には延喜二十年十二月の観賢僧都の御奏がありました。
・今日は観賢僧正が大師諡号を奏請された日です。「高野大師御廣傳」には「・・至醍醐天皇御宇時、延喜十八年十月十六日。権大僧都法眼和尚位観賢。請賜諡号大師位・・」とでてきます。(高野山春秋にはこれが延喜二十一年十月五日と書いてあり重複しているのかどうかは不明です)
この前には延喜十八年八月十一日付の寛平法皇の御奏がありこの後には延喜二十年十二月の観賢僧都の御奏がありました。