御即位灌頂 冨田斆純(11代豊山派管長)等より・・・1
第一章、 (大正天皇の即位の御大礼が11月10日に決まったが、日本では宗教色を排するような雰囲気があった)元来即位式といふのは欧州諸国の戴冠式では羅馬法皇が関与し、インドでは即位灌頂が行われ、支那では告天の焼香をなし、神武天皇は天津神籬(あまつひもろぎ、((『日本書紀 神代下 第九段』に「 高皇産靈尊、因りて勅して曰はく、「吾は天津神籬及天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の為に齋ひ奉らむ。汝、天兒屋命・太玉命は、天津神籬を持ちて、葦原中國に降りて、亦吾孫の為に齋ひ奉れ」とのたまふ。乃ち二の神に使して、天忍穗耳尊に陪從へて降す。」とある)を建て八柱の神を祀られて居る。即位の御大礼の床には偉大なる何者かが宿らなくてはならないのである。(日本では古来)即位の御大礼あるや、東大寺・東寺等十箇寺に御誦経を命じられたこともあり、大嘗会の大神事に対して、太極殿の高御座に本尊を安置したる大仁王会といふ大仏事がおこなわれたこともあり、また大嘗会の後に大元帥御修法が修行せられたこともある。しかのみならず、天皇陛下 智拳印を結びたまふ所謂御即位灌頂の威儀に住して高御座に座し給ふたこともある。千三百年来敬神尊佛の思想で即位の御大礼は行はれてきた。・・
第一章、 (大正天皇の即位の御大礼が11月10日に決まったが、日本では宗教色を排するような雰囲気があった)元来即位式といふのは欧州諸国の戴冠式では羅馬法皇が関与し、インドでは即位灌頂が行われ、支那では告天の焼香をなし、神武天皇は天津神籬(あまつひもろぎ、((『日本書紀 神代下 第九段』に「 高皇産靈尊、因りて勅して曰はく、「吾は天津神籬及天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の為に齋ひ奉らむ。汝、天兒屋命・太玉命は、天津神籬を持ちて、葦原中國に降りて、亦吾孫の為に齋ひ奉れ」とのたまふ。乃ち二の神に使して、天忍穗耳尊に陪從へて降す。」とある)を建て八柱の神を祀られて居る。即位の御大礼の床には偉大なる何者かが宿らなくてはならないのである。(日本では古来)即位の御大礼あるや、東大寺・東寺等十箇寺に御誦経を命じられたこともあり、大嘗会の大神事に対して、太極殿の高御座に本尊を安置したる大仁王会といふ大仏事がおこなわれたこともあり、また大嘗会の後に大元帥御修法が修行せられたこともある。しかのみならず、天皇陛下 智拳印を結びたまふ所謂御即位灌頂の威儀に住して高御座に座し給ふたこともある。千三百年来敬神尊佛の思想で即位の御大礼は行はれてきた。・・