印融法印の時世の歌
高野春秋に「(永正十六年)秋は八月十五日夜、印融闍梨、武州烏山観護寺(また三會寺)に入寂。融師とは武州久保の人也。幼若に登山。事教業成。無量光院に入る。開講撓はず。議論玄に入る。筆記勝計すべからず。晩年関東に遊説。談林を興し論場を創る。平生書籍を捨てず、恒に烏山三會寺に居し時々隣里他山講義の毎に小牛に乗る。而して其の牛角に巻帙を架し行々熟覧焉。辞世歌に曰く「生まるるも阿字(梵字)より来れば死ぬとても本の不生に帰りこそすれ」。
印融法印の時世の歌
高野春秋に「(永正十六年)秋は八月十五日夜、印融闍梨、武州烏山観護寺(また三會寺)に入寂。融師とは武州久保の人也。幼若に登山。事教業成。無量光院に入る。開講撓はず。議論玄に入る。筆記勝計すべからず。晩年関東に遊説。談林を興し論場を創る。平生書籍を捨てず、恒に烏山三會寺に居し時々隣里他山講義の毎に小牛に乗る。而して其の牛角に巻帙を架し行々熟覧焉。辞世歌に曰く「生まるるも阿字(梵字)より来れば死ぬとても本の不生に帰りこそすれ」。