第四章正宗分、
第一、三句の発問
「・(大日経住心品)・・爾時に執金剛祕密主、彼の衆會の中において坐して佛に白して言さく、世尊云何んが如來應供正遍知。一切智智を得たまふ。彼の一切智智を得て、無量の衆生の爲に、廣演分布して隨種種の趣、種種の性欲に随って、種種の方便道を以て、一切智智を宣説したまふ。或は聲聞乘道。或は縁覺乘道。或は大乘道。或は五通智道。或は願って天に生じ、或は人中・龍夜叉乾闥婆・ないし摩睺羅伽に生ずる法を説きたまふ。若し衆生有って、佛を以て度すべき者には、即ち佛身を現じ、或は聲聞身を現じ。或縁覺身を演じ。或は菩薩身
或梵天身。或那羅延毘沙門身。乃至摩睺羅伽人等の身を以て、各各に彼の言音を同じ、。住種種威儀。而も此の一切智智の道は一味なり。所謂如來解脱味。世尊譬の如くの智慧は虚空界離一切分別。無分別無無分別。如是一切智智離一切分別。無分別無無分別。世尊譬如大地一切衆生依。如是一切智智。天人阿脩羅依。世尊譬如火界燒一切
薪無厭足。如是一切智智。燒一切無智薪。無
厭足。世尊譬如風界除一切塵。如是一切智
智。除去一切諸煩惱塵。世尊喩如水界一切
衆生依之歡樂。如是一切智智。爲諸天世人
利樂。世尊如是智慧。以何爲因。云何爲根。云
何究竟。如是説已。」金剛手は如来自証の体から生ずる化他無量の妙用は皆一切衆生に如来の大果を得させる善巧方便であると、如来の神変加持の化他の業用の真意を了解し、如来の功徳を歎じた。・・またこの問い(如来の神変加持力は何を因とし、何を根とし、何を究竟としているか)は我ら衆生がなぜ如来の徳を頂くことができるのかという意味も持つ。これに対して大日経疏では「もし我ら衆生に本来曼荼羅の徳を具していなかったらいかに修行しても曼荼羅の佛徳を成就することはできない。しかし我らは本来曼荼羅体である。衆生の色心の実相はもとから仏と平等であるから曼荼羅諸尊の三密門を修するときよく諸尊の徳を成就するのである。・・ここにいたれば一切の衆生は各々が中心となって曼荼羅を成立するのである。
第一、三句の発問
「・(大日経住心品)・・爾時に執金剛祕密主、彼の衆會の中において坐して佛に白して言さく、世尊云何んが如來應供正遍知。一切智智を得たまふ。彼の一切智智を得て、無量の衆生の爲に、廣演分布して隨種種の趣、種種の性欲に随って、種種の方便道を以て、一切智智を宣説したまふ。或は聲聞乘道。或は縁覺乘道。或は大乘道。或は五通智道。或は願って天に生じ、或は人中・龍夜叉乾闥婆・ないし摩睺羅伽に生ずる法を説きたまふ。若し衆生有って、佛を以て度すべき者には、即ち佛身を現じ、或は聲聞身を現じ。或縁覺身を演じ。或は菩薩身
或梵天身。或那羅延毘沙門身。乃至摩睺羅伽人等の身を以て、各各に彼の言音を同じ、。住種種威儀。而も此の一切智智の道は一味なり。所謂如來解脱味。世尊譬の如くの智慧は虚空界離一切分別。無分別無無分別。如是一切智智離一切分別。無分別無無分別。世尊譬如大地一切衆生依。如是一切智智。天人阿脩羅依。世尊譬如火界燒一切
薪無厭足。如是一切智智。燒一切無智薪。無
厭足。世尊譬如風界除一切塵。如是一切智
智。除去一切諸煩惱塵。世尊喩如水界一切
衆生依之歡樂。如是一切智智。爲諸天世人
利樂。世尊如是智慧。以何爲因。云何爲根。云
何究竟。如是説已。」金剛手は如来自証の体から生ずる化他無量の妙用は皆一切衆生に如来の大果を得させる善巧方便であると、如来の神変加持の化他の業用の真意を了解し、如来の功徳を歎じた。・・またこの問い(如来の神変加持力は何を因とし、何を根とし、何を究竟としているか)は我ら衆生がなぜ如来の徳を頂くことができるのかという意味も持つ。これに対して大日経疏では「もし我ら衆生に本来曼荼羅の徳を具していなかったらいかに修行しても曼荼羅の佛徳を成就することはできない。しかし我らは本来曼荼羅体である。衆生の色心の実相はもとから仏と平等であるから曼荼羅諸尊の三密門を修するときよく諸尊の徳を成就するのである。・・ここにいたれば一切の衆生は各々が中心となって曼荼羅を成立するのである。