第四章第二、三句の答説(三句の問に対する答え)
上述のように金剛手が大日如来に向かって発した問に対して、如来は三句の法門を説き給う。「毘盧遮那如来、持金剛秘密主に告げて言はく・・菩提心を因とし、大悲を根本とし、方便を究竟とする。秘密主云何んが菩提とならば、謂はく実の如く自心を知るなり・・」即ち、種が地水等の外の縁に助けられ芽を出し、根を生じ、ついに果実をつけるに至るように、衆生が仏性の種子を発生させついに如来の大果を成ずるには、信と行とによらなければならないことを説いたのがこの三句の法門である。・・・要するに三句の法門とは能所主客(主観客観)の分別の妄念を除き、能所理智不二の菩提の本性に住し、如来自性の境に契い、大慈悲の行を成じ、自證化他円満の仏果を成ずる道である。即ち菩提心の種子を如来の聖胎に託し、仏子として生まれ佛業を成ずる秘義をあかすものである。
上述のように金剛手が大日如来に向かって発した問に対して、如来は三句の法門を説き給う。「毘盧遮那如来、持金剛秘密主に告げて言はく・・菩提心を因とし、大悲を根本とし、方便を究竟とする。秘密主云何んが菩提とならば、謂はく実の如く自心を知るなり・・」即ち、種が地水等の外の縁に助けられ芽を出し、根を生じ、ついに果実をつけるに至るように、衆生が仏性の種子を発生させついに如来の大果を成ずるには、信と行とによらなければならないことを説いたのがこの三句の法門である。・・・要するに三句の法門とは能所主客(主観客観)の分別の妄念を除き、能所理智不二の菩提の本性に住し、如来自性の境に契い、大慈悲の行を成じ、自證化他円満の仏果を成ずる道である。即ち菩提心の種子を如来の聖胎に託し、仏子として生まれ佛業を成ずる秘義をあかすものである。