第二十九 問答決着章二
(密教は龍猛菩薩が南天竺の鉄塔に入りて金剛薩埵より相伝されたとするが実在を確かめた人はいない、しかしこれは神力所変の塔なるがゆえに機あらば顕れ、機なければ隠る。隠顕出没自在である。)
問。真言密教を閻浮に流伝することは其の源、龍猛菩薩南天竺の鉄塔に入りて金剛薩埵より相伝したまへるに始まるといふ、しかるに謂うところの鉄塔は何れの世に誰人の所造といふこと分明ならば古来、入竺の三蔵多しと雖も未だ一人として之を見給へしを聞かず。鉄塔流伝はおそらくは誣罔の説なるべし、如何?
答。鉄塔流伝の詳らかなる因縁は第五祖金剛智三蔵の金剛頂経義訣にあり。三蔵なんぞ誣罔の説を成し給わんや。これすなわち八祖相承深秘の口伝なり。金剛頂聖位経の中に金剛薩埵等の諸大菩薩法身如来より密教流伝の勅を受け終わりて神力所変の現証塔に住し給ふてあるはまさしくこの鉄塔を説き給へるなり。已に神力所変の塔なるがゆえに三世常住周辺法界にして機あらば顕れ、機なければ隠る。隠顕出没自在なり。如来の加持力に依らずんば十地の菩薩なお所見の境に非ず。顕機の三蔵等これを感見し給はざること固より当然なり。龍猛菩薩は釈迦如来より顕密仏法流伝の懸記を受け給ひし程の大機にてましませば、この菩薩にしてはじめてよくこの甚深秘蔵の塔を開き給へるなり。又もし強いて鉄塔の流伝を疑はば顕の諸大乗経は勿論、弥勒所造の瑜伽論等も亦容易に信ずるべからざるに至るべし。何となれば顕の諸大乗経は如来滅後、龍猛菩薩天上に昇り竜宮に入りて之を感得し給ひ、瑜伽論は無着菩薩、兜率天に往きて弥勒の直説を聴取し給へるなり。しかるに天上竜宮は皆吾等凡眼の及ぶところに非ざればなり。されば凡情を以てしては顕教の流伝をも信ずること能わず,況や秘密最上乗教の流伝をや。故に戯論分別を離れ一向に八祖相承の深旨を信ずべき也。高祖大師の曰はく「この如の深法は信を以て能く入る。思量分別をもて何ぞ其の底を得んや」「深法は信を以て能く入る 思慮分別をもって何ぞその底を得んや」
(秘密曼荼羅経付法伝巻二「かくのごときの難信の事は諸仏の境界なり。声聞・縁覚のよく知る所に非ず。爾未だ具縛を脱せず。なぞよく入ることを得んや。かくのごときの深法は信をもってよく入る。思慮分別をもって何ぞその底を得んや。また人に愚と智とあり。器にまた頓と漸とあり、頓機はよく信ず。漸人は何ぞ得ん。・・)と。
(最近、傑僧佐々井秀嶺が印度ナグプールで発掘のマンセル遺跡が南天の鉄塔ではないかと、インドで考えられています」