福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

試合の前にはお日様に全選手の安全を祈った上村愛子選手

2020-09-22 | 法話

先ほどNHKの「知恵泉・忍者”に学ぶ生きる知恵」でモーグルの上村愛子選手が「試合の前には山に登るとき太陽に向かって『全選手が安全でありますように』と祈ることにしていた。」と話していました。やはり超一流選手は只者ではありませんでした。この伝でいくとサラリーマンは「全社員の仕事がうまくいきますように」と祈るべきだし、自営業の人は「全ての人の商売がうまくいきますように」と祈るべきだし、受験生は「全受験生がすばらしい能力を発揮できますように」と祈り、政治家は「全政治家の活動が日本の為に本当に良い結果をもたらしますように」、経済人は「全経済人の活動が本当の経世済民となりますように」等と祈りその日の活動を始めるべきでしょう(実際にはこのように祈っている政治家・経済人等は皆無と思われますが)。
我々も祈願するときは本気で四無量観「慈無量観・慈無量観・喜慈無量観・捨無量観」(いずれも一切有情に対して慈悲喜捨の加持を行うもの)(注)を修さなければ、と思いました。

注)『中阿含経』には四無量観についてこうでてきます。「阿難よ、私はおまえのために四無量について説こう。比丘は心に慈しみを具え、一方(の生けるもの全て)に遍く満すことを成しつつ遊行する。このように、二方・三方・四方・四維・上下のあらゆる方向(の生けるもの全て)に遍く(慈心を)廻らす。心に慈を具え、煩悩無く、恨み無く、怒り無く、争い無くして、極めて広く、甚だ大きく、限りない善を修め、(慈しみを)すべての世界に遍く満たすことを成しつつ遊行する。同様に、悲・喜もまた、捨とを具えて、煩悩無く、恨み無く、怒り無く、争い無くして、極めて広く、甚だ大きく、限りない善を修め、(慈心を)すべての世界に遍く満たすことを成しつつ遊行する。阿難よ、この四無量について、汝は諸々の出家して間もない比丘達に以上のように説教するべきである。もし諸々の出家して間もない比丘たちの為に、この四無量を説教したならば、すなわち安穏を得、力を得、楽を得て。身心に悩み煩いないであろう、終生これを行うことは崇高な行いである、と。」

『中阿含経』巻廿一「中阿含長壽王品説処経第十五」」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は秋分の日、八王日で善... | トップ | 東洋文化史における仏教の地... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事