以前四国遍路の時、遍路宿のノートにある様々なお遍路さんの記録を見て遍路の目的nには、現世利益、罪障消滅・滅罪生善、福智増長、先亡得脱、報恩謝徳、自利利他などさまざまなものがあることに改めて気が付きました。そして当時遍路を繰り返していると、これら現世利益のすべてを包含してなおかつまだまだそこにとどまらない広く深い限りなく玄妙な行が遍路なのだという気がしていました。なにかはとても言葉で表現できません。とにかく玄妙不可思議な深い深い広い広い世界が厳然として無限に我々遍路の前に横たわっていると言うしかない気がしました。
これは遍路でなくても信仰そのものの世界をあらわしているのだ、と最近気が付きました。護国寺に何十年もお参りしていますが、何度もお参りする毎にじわじわと有難さが増してくる気がします。
昔書道の先生に上手くなる方法はなんですか、と聞いた時、先生は一言「続けることです」と言いました。若い時武道をやっていましたが、最初は運動神経が鈍く弱かった人も稽古を休まず続けているうちに一番強くなった人がいました。
習い事でさえ「継続」が秘訣ですから、まして信仰の世界はもっと継続が大切ということでしょう。
実際、お詣りも遍路も修行も何回もやればやるだけ玄妙な世界が開けてきます。
しかし凡人はこの継続ができないですべてを水泡に帰してしまうのです。