今日永観元年八月一日は法済大師奝然が宋にむけて出発した日です。
永観元年(九八三)八月一日。四十五歳の奝然は、弟子の嘉因・盛算らとともに宋の商船に便乗して、九州を出発,
十七日後、船は中国の台州に到着。其の後、宋の第二代皇帝・太宗に日本の天皇制について「万世一系であり易姓革命はない」ことを説明して羨ましがらせたといいます。
(「雍煕元年(984)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至り、銅器十余事ならびに本国の『職員令』・『王年代記』各一巻を献ず。・・・
・・・太宗、奝然を召見しこれを存撫する事甚だ厚く、紫衣を賜い、太平興国寺に館せしむ。上、その国王は一姓継を伝え、臣下も皆官を世々するを聞き、因って嘆息して宰相に言って曰はく、「これ島夷のみ。すなわち世祚遐久にして、その臣もまた継襲してたえず。これけだし古の道なり。中国は唐季の乱より寓県分裂し、梁・周の五代、歴を享くること尤も促(みじか)く、大臣の世冑、能く嗣続すること鮮(すく)なし。朕、徳は往聖に慙ずといえども、常に夙夜寅(つつ)しみ畏れ、治本を請求し、敢えて暇逸せず。無窮の業を建て、可久の範を垂れ、また以て子孫の計をなし、大臣の後をして世々禄位を襲わしむるは、これ朕の心なり」と。『宋史』日本伝)
奝然は平安時代中期の東大寺の三論宗の僧。号法済大師。東大寺別当。
東大寺の観理に三論教学を、近江国石山寺の元杲(げんごう)に真言密教を学んだ。983年(永観元年)、入宋。天台山、五台山を巡礼。太宗から大師号や新印大蔵経などを賜り、インドの優填王(うでんおう)が造立したと言う釈迦如来立像を模刻し、胎内にその由来記などを納めて、986年(寛和2年)に帰国。請来釈迦像は愛宕山麓の地に清凉寺が建立され、奝然の没後にそこに安置された。この釈迦如来像は国宝。
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